食えないフリーソフト

少年よフリーソフトじゃ食えないぜ! というお話に対するまつもとさんの反論。僕も GPL が邦訳されて雑誌に解説記事が出た時に似たような不安を感じました。当時僕は高校生でしたがかなり悩んだ記憶あり。確かに「プログラム作業に対してお金が支払われることが可能」なんですが(印税がなくても原稿料で食える、みたいな)、当時の僕はそういう地味な稼ぎ方では発揮した創造性に相応しい十分な対価*1を得られないんじゃないかと思って。でも、一方でフリーソフトウェアを書くことでより多くの人の役にたてる、より弱い立場の人の助けになれる、という点には魅力を感じたし、その後大学でフリーソフトウェアの恩恵を受けた後では「恩返し」的な感覚もあってフリーソフトウェアを支持してきました。

もちろんそういうボランティア精神みたいな話だけではそういう精神を共有しない相手と交渉できないので、以前いた会社で僕が開発に携わった製品のオープンソース化を議論した時には直接的(自社が儲かるとか)、あるいは間接的(市場のパイが広がるとか)な損得勘定の話をしなくちゃなりませんでした。企業相手の場合は「食っていける」みたいな必要十分って話じゃなくて「利益の最大化」という話にしなくちゃならないので大変。結局明確なビジネスモデルを提示できなくてオープンソースにはできなかった(ソースは公開するが再配布は制限)のですが。。。

*1:って何? そんなのは市場が決めることじゃなくて? と今の僕ならツッコみますが。