blog vs 2ch ?

宮台真司ブログの http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98 より:

■私はマスコミ人たちに「ブログを見よ」と呼び掛けてきた。2ちゃんが「自己責任バッシング」の嵐でも、ブログで「自己責任」をキーワードに検索すると大半が「自己責任バッシング批判」。その意味を考えよと。
■答えは、私が一年前からブログ普及を呼び掛けてきた理由に関連する。私の舎弟にも大手プロバイダーが提供するブログを設計させた。既に何十万人も使っている。答えは「悪貨に良貨を駆逐させないこと」。
■ブログは日記用として生まれ、デモクラティズム的な公共性に資することが分かって、デモクラットらによって改良を重ねられた。ポイントは評判システム。トラックバックを中核とつつ、コメント評価プラグインを周辺とする。
渋谷陽一氏が自らのブログに自説を書く。私が内容に価値がある思えば自分のブログに渋谷氏のブログからトラックバック(引用)を引く。すると渋谷氏のプログにそれが表示される。表示件数が多いほど評判がいい。観客は評判いいサイトだけ見る。
■2ちゃんにありがちな煽りや垂れ流しにトラックバックは付かない。ついてもクソコメント。本人が寂しくなるばかりか恥さらし。見事淘汰される。評判のいいブログにもクソコメントがつくが、コメント評価プラグインで淘汰できる。
■ブログが普及するほど「2ちゃん世論」とは何かが明白になる。評判システムで生き残るには「構築されたオピニオン」が必要だ。思考停止で垂れ流される「下痢便メッセージ」は生き残れずに2ちゃんに吹き溜まる。
■マスコミ人に「ブログを見ろ」と一喝する意味は明白だろう。2ちゃんは2ちゃんでありつづるし、俗情ガス抜き装置としてはいい。だがマスコミは低レベルの俗情に媚びてはダメ。大きなオピニオン市場が別にあり、かつ公共的だ。

この発言に 2ch らー諸子がお怒りですが、それが逆に宮台理論(?)の信憑性を増してしまっている、ていうか釣られ杉おまいら。

とはいえ誤解もありそうなので、「クソトラックバックをつけてみる実験」http://yone.exblog.jp/360099 に答える形で勝手に補足してみます。

まず、糞みたいなトラックバックだってあるよっていうのはその通りだけど、自分とこに付いたトラックバックは自分で消せるんですね。仕様上は送られたトラックバックをブログ上に表示するしないも任意(デフォルトで受信後即表示なシステムが多いようですが)。それに対して 2ch のコメントだと単に糞ってだけじゃ消せません。削除人とスレや板の住民とが利害関係を共有しているとは限らない(この事自体は削除権の乱用を防ぐ意味では有効なんですが)ので、スレの空気とかスレの総意(って言っても匿名なので何が総意なのか謎ですが)を汲んでクソ掃除をしてくれる事は期待できません。

また、マクロに見れば 2ch のスレの方がリアルタイムな流れがある分反射的なレスが多くなりがちだし、流動的なその場のノリみたいなものに引きずられがち(まるで朝生のように)で、よりノイジーになるのは否定できないでしょう。ただ、2ch くらいの規模になるとS/N比は低くてもシグナルの総量は多いかもしれないし、それが「まとめサイト」なんかの形でノイズの少ない形になることも結構あるので、そのことだけでは blog 有利とも言えませんが。

コメント評価プラグインについては宮台氏の誤解で、charlie (鈴木謙介)氏のコメントにもあるようにあまり一般的ではありませんし、米光さんも指摘するように blog ならではというわけではありません(ていうかスラドの方が先だし)。でも、トラックバックのリンクの関係を利用して(googlePageRank みたいな技術で)ブログエントリの人気なり品質なりを機械的に評価できる可能性はありそうです。匿名掲示板のレスの応酬だとそういう処理はたぶん無理でしょう。

それはともかくとしてスラド的な評価システムについて。2ch にもスレッドフロートや dat 落ちの仕組みで、スレ単位の評価が反映された淘汰のシステムがあるとも言えます。が、評価の基準が各レスの評価の「絶対値」の総和になってしまい、良くも悪くも刺激が強い内容のスレが生き残るのが定めなので、板を一見すると極論・暴論が目立ってしまいがちです。その点、プラスマイナスを区別して評価できるスラド的な評価システムは刺激の強さだけではなく刺激のベクトルも反映した淘汰システムが成り立ちうるのではないかと、そういうことなんじゃないでしょうか。