言論の自由について

ウホッ! 凄いタイトル…。でもたいした話じゃありません。

またまた『華氏911』について。町山さんの「批判してる場合か!」との一喝に macska さんが言論萎縮を懸念し反発。macska さん曰く:

「正しい目的のためなんだから」という理由でそれらに対する味方陣営内部からの批判を黙らせようとする行為にも耐えられない。それは、階級闘争が重要だからと内部における性差別の問題に取り組もうとしなかったかつての左翼運動や、父権制度解体が重要だからと内部における人種差別の問題に取り組もうとしなかったかつてのフェミニズムなどに対する反感からも来ているんだと思う。「より大きな目標のために、お前たちは黙っていろ」という発想をするのが保守の側だけじゃないことは、20世紀の歴史がさんざん明らかにしてきたことでもある。

macska さんが耐えられないのも、macska さん自身が「正しい目的」を盾に批判を封じるような行為を禁じ手にするのも、macska さんが他人にもそれを禁じ手にしてくれと主張するのも僕としては全部オッケー。なぜなら macska さんにそう言われても僕には選択の自由があるから。そして同じことが町山さんの言葉に対する僕や macska さんについても言える。

左翼運動やフェミニズムの例が問題なのは既存の権力(女性差別や人種差別の加害者側という権力)に無自覚に寄りかかった上で批判を封じたのが問題なんだと思う。本質はそこにあるわけで、「正しい目的」を盾にして相手を黙らせようとすること自体は、言論の陣取り合戦という自由競争(つまり言論の自由)の上では別に問題にならないと思う。それが問題なら他人の言論を「差別的」と糾弾することだってできなくなるもの。

町山さんがもっと権威ある人で、彼の一言でご飯が食べれなくなったり就職できなくなったりあるいは命を落としたりすることがあるほどの影響力を持っている人なら、「正しい目的」を盾に人を黙らせる態度はあまりにアンフェアだと思うけど、そうじゃないよね?



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