レイ・ワイアとティム・テイトは要注意

macska さんより『なぜ少女ばかりをねらったのか』の著者レイ・ワイアとティム・テイトの過去の失態の話が。

二人は「児童虐待者は怪物じゃない」とか言いつつ同じ時期に「悪魔崇拝カルトが児童虐待をしている」と訴えて、現代の魔女狩りもどきに荷担してたということです。レイがティムに騙されたという構図かと思いますが、いずれにせよ二人とも脇が甘いのは事実らしい。確かにそれを感じさせる部分もちらほら。。。

悪魔崇拝カルトデマの件でティムらは児童に先入観を与えるようなインタビューをして失敗しているようですが、司法の証拠の扱いについてこんな不満を漏らしています(p210-211)。

 エリート集団である法曹界の、単純に常識で結論付けることを妨げようとする体質は、部外者にはどうも理解しがたい。裁判官は厳密な法解釈とやらのために裁判を中断したり、重要な証拠をそれとは認めなかったりする。殺人容疑者を撮ったビデオも、隠したりだましたりして撮影したものは、規定として証拠から除外される。しかし、容疑者の“告白”を逐一朝刊で読んでいるわたしたち一般大衆には、そんなふうに証拠品を除外するのは、自然的正義(当事者双方にとっての公正な裁判という原則)を積極的に守っているというより、これを否定しているようにみえる。

無茶な事言うなーと思ってたんですが、こうしてあらためて読んでみると「あんたみたいなそそっかしい奴がいるからそうなるんじゃん!」とツッコミたくなるわけで。。。

また、反ポルノ論については「精液スナップ」(日本語だと顔射とかぶっかけとか呼ばれるもの)を「女性蔑視の考え方の極致」などと言っていて(p227)僕としてはちょっとそれはどうかと思ったり*1

ただし『なぜ少女ばかりをねらったのか』について言えば基本的にレイの実体験と公になっている情報からなり、ことさら怪しい事を言っているようには見えませんでした。レイは牧師を目指してバーミンガム聖書大学に三年間在籍していて、牧師にならなかったのは「教会は身近な現実の生活から遊離して、ささいな問題ばかりに固執する組織になりさがっていた」(p43)という理由だそうですが、そういう経歴に起因すると思われる宗教的バイアスは特に感じませんでした。

なお、『なぜ少女ばかりをねらったのか』は二人の主張を裏付けるような客観的な情報源の提示はほとんどしていないので、科学的、統計的な情報源としては使えません。現場の人がどう考えているか、という程度のものだと思ったほうがよいです。一般向け読み物としては、被害者の遺族の苦しみや、加害者の認知の歪みなどの記述が興味深く読めます。


*1:ただしそれを「快く思う女性はめったにいない」というのは正しい指摘かもね。