被害者の立場に立つこと

[id:kaerudayo:20050114#p1] より:

欲しくない方に気持ちがずるずる傾いていたんだけど、なんかさ、再犯率の件でミーガン法の是非が語られているが、読んでいて思うのは、被害者はそこにいないんだな。刑務所に入れただけや、数字や理屈では埋められないもんがあるから、ミーガン法的なものは支持されているんじゃないかな。

そんなの被害者(やその家族など)の立場に立ったら「許さん!ブッ殺す!」になるに決まってるじゃないですか。でもそれじゃあ世の中成り立たないから罪に対する罰の相場ってのがあって、それは加害者を守るだけでなく被害者を守るためでもあるわけで(参照:id:rna:20050102#p2)。

被害者の立場に立った共感的コミュニケーションは無関心な人の目を覚まし議論への参加を促すという意味では大事だけど、具体的な政策論争では実際に被害者の利益を守れるのかどうか、被害者以外の人たちとの利害のバランスはどうなのか、という事に配慮せざるをえないでしょう。ミーガン法を推進する人達もそれがわかってるから再犯率の話を持ち出すわけです(再犯率の話は反対派が言い出したことでないことに注意)。

「数字や理屈では埋められないもん」について言えば、たぶん「罪を憎むか人を憎むか」という話なんだと思う。性犯罪は単なる「過ち」ではなくて「邪悪な人間性のあらわれ」に違いないという考え方が根底にあるのではないか。一般に過ちに対してあまりに不寛容な社会は窮屈過ぎて耐えられないというのはわかっていても、性犯罪は「過ち」じゃないですから! ということなのか。なんでそういうことになるのか僕には理解できないけれども。