フローとストック

charlie さんが mixi 有料化に絡めて。

ずいぶん前にここで書いたような気がするけど、ブログ〜SNSという流れの中で人々を惹きつけたのは、フローなコミュニケーションを垂れ流すことの出来る空間としてのインターネットの可能性が、そこで華開いたからだった。初期の頃は「名無しさん」に煽られない、煽られる心配をしなくていい場所としてブログが発見されたものの、そこは「ネット=ストック」だと見なす人たちとの認識のギャップで、儀礼だ関心だという話になり、結局人々はより「垂れ流し」を許容してくれるSNSへと民族大移動した。欲求が理想に勝ったってことだろう。

そういう見方があるのか。予期せぬ衝突から逃れるために 2ch → blog → SNS へと退却していくというのは感じていたけど、フローとストックって感覚はなかったな。腑に落ちるような落ちないような。そのへんを立証する調査とか研究があったら見たいなぁ。「ぱどタウンの子供たち」の話とも関連しそうな。

垂れ流し=フローとも限らない気もするし。「垂れ流し」を流して欲しいのはツッコまれるのがウザいからで、SNS みたいに内輪に閉じてると安心して垂れ流し(ツッコまれる隙のある言葉)をストックしておける気も。まあ僕はマイミクに何十人も入れてるヘビーユーザーじゃないし、mixi 有料化はそういうユーザーが対象だし、僕の感覚ではわからないことなのかも。



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