ヤツらが黒と言ったから、カラスは本当は白なんだ

昔々あるところに、ていうか大阪ですが、一人の若い女性がいました。彼女はごく普通のOLで、休みの日はJリーグのサポーターやってたり、おもしろおかしく過ごしていました。その彼女がある日、健康にいいからと誘われたヨガ道場でとんでもない光景を目撃します。大阪府警強制捜査です。そう、そのヨガ道場というのはオウム真理教の施設だったのです。

強制捜査はかなり荒っぽいものだったそうです。まぁ、府警の警官といえば日頃の付き合いのせいでしょうか、なんというか、どっちがヤクザだかわからん、みたいな雰囲気の人も結構いるわけで、日頃警察とは縁のなかった彼女にしてみればかなりショッキングな光景だったようです。「警察はひどい! あんまりだ!」彼女はそう思いました。さらに彼女は思いました。「警察はあんなにひどいのだから、警察に攻撃されているオウムはきっと正しいのだわ!」

そしてまもなく彼女はオウム真理教に入信しました。地下鉄サリン事件がオウムの犯行とわかり、テレビは連日のオウム報道、オウムへの非難は激しいものがありましたが、非難が激しければ激しいほど彼女はオウムの正しさを確信するのでした。「歴史を見れば正しい者は常に迫害を受けてきました。私たちも同じなんです。」

以上、1996年頃に大阪のサティアンショップに行ったときお相手してくれた女性信徒の話を物語風にまとめてみました。「普通の人」が極端に走るパターンの一つとして強く印象に残ったエピソードです*1。何かをきっかけに今まで信じてたものが実はデタラメと知ってしまった。そして真実はきっとその逆だ! と思って反対側にすっ飛んでしまう。ヤツらが黒と言ったから、カラスは本当は白なんだ、と言わんばかりに。

そんなわけで「市民」にせよ「普通の一般人」にせよ、「自分たちの個性のなさ=自分たちの主張の普遍性」みたいにプレゼンテーションされても困るんですよね。そんなの主張の正しさを何も補強しないわけで。現場のリアリティ、みたいな意味で使う分には有意義かもしれないけど、単なるメディアの裏読みはそういうのとは全然違うし。


*1:まあ、ほんとに「普通」だったのかどうか、本人の自己申告ですからわかりませんが、自分は普通だと思っている人=「普通の人」、ってことで。