『野生のしらべ』

ピアニストのエレーヌ・グリモーの自叙伝『野生のしらべ』(ISBN:4270000163)読了。

CDのジャケ写があまりにかわいかったので [id:rna:20040701#p1] ではアイドル扱いしましたが、ていうかクラシックとか全然聴かないのにジャケ買いしてたわけですが、エレーヌ自身は容姿を褒められるのはうんざりみたいです。エレーヌスマン。一人の演奏家として扱ってほしい、というのもあるようですが、音楽を始める前からそういう傾向はあって、なにかと大変だったようです(家族が)。p10 より:

バレエ着は大嫌い。レオタード、チュチュ、バレエシューズにピンクのサテン、なにもかもが気に入らなかった。私はお人形に身の毛もよだつほど似て見えた。何度かのクリスマスに、人は私にお人形をあたえようとしたけれど、その試みはすべて不幸な結果に終わっていた。私はどのお人形もすべて、怒り狂って壁に投げつけた。こんなものを私にもたせようとした、そう思うだけでもぞっとするのに、そのお人形そっくりに見えるなんて!

さて、出版社のレビューとか帯の紹介文とかではエレーヌをメンヘラーっぽく描写してて、「度重なる自傷行為やひきこもりと闘う彼女を救い、癒したのは、本と自然とピアノ、そしてオオカミだった―」とか書いてるんですが、なんか話が違う! エレーヌにとってオオカミは(もちろんピアノも)「癒し」ではなく人生の目的そのものでした。

まず自傷行為自傷行為というと境界性人格障害とかを連想しますが、エレーヌの場合は強迫神経症 + マゾヒズムでしょうか? 対称性に対する異常な拘りと傷の痛みに快感を感じる性癖*1が合わさって、体の片方に怪我をすると反対側を傷つけて左右対称にする、というのが「自傷行為」の内実で、いわゆるリストカットとかとは全然違うものでした。

自傷自体は何かに癒されて治ったというのではなく、13歳のころ突然消えたそうです。対称性への拘りは大人になっても残りましたが、これも何かのきっかけでブチキレた勢いで(?)治ったそうです。どちらもピアノや本やオオカミとは特に関係ないみたい。

ひきこもりの方は二十歳くらいの頃、持ち前の頑固さゆえに綱渡り的にこなしていた音楽のキャリアがふとしたきっかけで途切れた頃、二年ほどピアノを離れて孤独に過ごしていた時期のことのようです。ひきこもりと言っても友人が演奏旅行で空けたマンションを借りてそこに籠もっていたようです。これもイメージが違いますね。この頃のエレーヌは読書に没頭していましたが、脱出のきっかけになったのは突然降ってわいたアメリカ行きのオファーでした。本もオオカミも関係なし。アメリカ行きというのはレコード会社が企画したコンサートツアーなので、まあ「ピアノに救われた」と言えばそうなんですが。

エレーヌがオオカミに出会うのはコンサートツアーの最後の地フロリダで彼氏を作ってそのまま住み着いた後の話。猫に妙に懐かれる人の事を猫体質などと言いますが、エレーヌはオオカミ体質だったようで、飼い主にもあまり懐かなかった一匹のオオカミに初対面で懐かれてしまいました。この出会いが迷い多き人生に終止符を打つことになります。元の飼い主が非合法に飼育していたこのオオカミを引き取るため、エレーヌはオオカミ保護施設の設立のために奔走します。

財団を設立し施設の建設地を手に入れ必要な資金を貯めるために、エレーヌは生活費を切りつめギリギリの生活をしながら音楽活動を続けます。彼氏と別れてニューヨークのスラム街みたいなところを一人で転々として、しまいにはアルファベットシティのホモセクシャルカップ*2の部屋に居候していたとか。

途中辛い出来事もありながら、ついに1997年、エレーヌはニューヨーク・ウルフ・センターを設立。以来、ピアノとオオカミとオオカミを見に来る子供達の笑顔が彼女の生き甲斐になっているのです。めでたしめでたし。ってエレーヌまだ35歳ですけど。

*1:麻酔なしで傷を縫われた時「ほほえみ」「恍惚としていた」という。

*2:片方は「アドニスのような肉体をした派手な男で、雨が降ろうが雪が降ろうが年がら年中ショートパンツ姿で、ローラースケートをはいていた。」