「それより交通事故に気を付けろ」

『寄生獣(10)』p164より。
ミギーのこのセリフには確かに人間味に欠けるものがある。でもやはりそう言うべきだと思う。

[id:swan_slab:20051211:p1] より:

もし仮に、個々人の主観において、日常生活において自律的かつ平穏に暮らしうるためのリスクのカクテル*1の総量なるものがあるとしよう。ある程度のリスクを引き受けれたところで飽和してしまうというイメージだ。そうすると、私たちは、交通事故の高いリスクを引き受ける代わりに、日常生活の平穏を保つために、他のリスクに対してはほとんど受け入れる余地がなく、非常に高い安全性を求めている可能性だってある。

カクテルを味わえるほどの大人なら、自己責任で自己決定できる大人ならそれでもいい。死に方を選り好みできるだけの覚悟ができている大人なら、BSE が怖くて牛丼一杯も食べられない人が危険な冬山登山に挑んだっていい。全く自由だ。

でも「子供の安全」が論じられる文脈ではどうだろう? 「リスクを引き受け」ているのは誰? 子供自身ではない。だから何より生き延びることを第一に「安全」に配慮するべきだと思う。大人が「安心」するためではなく子供が「安全」であるために。