人が死ぬということ

別に何かあったわけではなくて、[id:rna:20060215:p2] への反応に対するお返事。いや、返事になってるのかどうかよくわからないけれど。

街中に人間の死体(水平線を目指して) について。

目の前の死体のインパクトというのは確かに凄まじいものがある。あのビジュアル、あの臭い、群がる昆虫。しかし、瞬時に襲いかかる生理的な嫌悪感は、むしろ「死の意味」への想像力を速やかに奪い去ってしまう。さらに一瞬の後に意識に浮かんでくるのは「死の意味」というよりはむしろ「生の無意味」。あの「あなたが大切だ」という広告が訴える「関係性の喪失としての死」からはほど遠い感覚。目の前の死体が親しい人のそれの場合は二つの感覚に引き裂かれ苦しむ事になるのだろうか。

hoshikuzu さんのコメントについて。

女性の会話には正解があるらしいという話もあるけど、嘘でもいい、ロールプレイングで癒されたい、という気持ちになることは確かにある。復活の物語のパターンをなぞって物語の登場人物として生きなおすというか、そうやって演じることで軌道に乗れるというのはあるのかもしれない。僕の場合は妄想はしても現実に誰かにそれを求めることはほとんどないけれど。



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