神の存在について

さらに 2 番目のほうはもっとよくわからない。というかまず、なんだかごまかしのように見える。水は言葉を理解したりしない、ということは「ほぼ断言していい」のに、神や霊魂は実在しない、ということは「ほぼ断言」できないんでしょうか。してもよさそうなもんだけどなぁ。この間にそんな大きな違いがあるんでしょうかね?うーむ。
穏健な宗教 (good2ndの日記)

霊魂にしても神にしても定義として超自然的な存在は、自然科学で存在を実証したり否定したりはできないのだと思います。とりあえず神について。

神と言っても色々ですが、意志を持ち全知全能であるそれを仮定すると、一定の条件下で観測するとその存在を示す観測結果が必ず得られる、ということは期待できません。相手は意志を持っていて自由に観測結果を操作できるのですから。*1 そんなの定義そのものが反則という気がしないでもないですが、そういうものを想像できてしまうのが人間なのでしかたがないのです。

その点「水伝」がダメなのは水について、一方ではどう見ても水神様みたいな扱いをしてるくせに、もう一方では再現性のある現象が観測可能な対象として扱っているあたり。関係者が物理学会で発表までしてるし。これが一回性の「奇跡」として報告されたのなら科学者の出番は(水伝の学会での出番も)ないのですが。

なんというか、科学を信用していながら神や霊魂の実在をナンセンスと思わない、って一体どういう状態なのかうまく想像できないんですよね。
穏健な宗教 (good2ndの日記)

神の存在と自然科学が矛盾しないのならば*2、自然科学の対象にならないものについてどういう態度をとるかは自然科学に対する態度から自由なのでは。合理的思考をする必然性すらありません。科学者にだって適わぬ恋に身を焦がす自由があるように、不合理にも*3神を信じる自由だってあります。生活の隅々にまで合理的思考を徹底させようとするのは科学的なのではなく単に合理主義的*4なだけだと思います。

ちなみに僕は合理主義者なので神は信じません。*5


*1:神による現世利益が主張される場合は、再現性のある現象が主張されるわけで科学的検証の対象になりうるのですが、大抵は信心という内心の状態が条件に含まれており、信心の有無の判断は神の裁量になるので、結局再現性を期待できなくなってしまいます。無差別に御利益のある神様がいればいいのですが。。。

*2:神の言葉が自然科学と矛盾することを言ってしまうと困るのですが。もっともこれはよほど露骨な言葉(「本当は E=mc^3 である」とか)でないかぎり神の言葉の解釈の方を変える方向で逃げることは可能。

*3:例えば自分が聞いた神の声は幻聴だと解釈する方が合理的だとか、自分がひらいた悟りは変性意識状態だと解釈する方が合理的だとか。

*4:一般的な意味での。哲学的な定義のことは知りません。

*5:恋愛については全く合理主義ではありませんが。