twitter - 63億の個人的なつぶやき

サーバはその重みにたえかねて軋んでる、との噂の twitter ですが、友人に誘われ id 確保の意味でも入ってみました。ここ三日ほど使ってみた感想。

twitter というのは、ひとりごとをマッシュアップしてコミュニケーションのようなものに見せるサービスです。やばい、Linger より面白い(あ、言っちゃった)。

チャットに比べると気楽なところがいい。会話じゃなくてひとりごとだから。別にチャットでもひとりごとメモとして使う人はいるけど、ひとたび誰かが join すると、相手しなくちゃならないという義務感に駆られるし、発言の間がプレッシャーになるのだけど、twitter だとそれがないのがいい。

そのノリはアーキテクチャ的に形成されている部分と規範的に形成されている部分がある。

twitter は基本的には「今何をしているか」をリアルタイムに記録していくログツールだということになっている。ユーザ毎のトップページは他人から見るとその人のつぶやきだけが並んだものになっている(例: http://twitter.com/rna)。一方、ユーザ本人がログインした時に表示される初期画面(http://twitter.com/home)は、自分の友達のログと自分のログを全部混ぜて、発言時刻順に並べ直したものが表示される。チャットっぽく見えるのはこの画面。同様の画面は他人からは With Friends の画面で参照できる。

twitter の友達(friend)関係は、mixi で言うマイミクみたいなものだがもっと敷居が低い。「はてなわんわんワールド」のともだち機能に近いかも。ユーザは一方的にクリック(add)するだけで誰でも友達一覧に追加できる。追加された友達は追加したユーザのトップページに mixi のマイミクみたいな感じで表示される。ただし、相手の方もそのユーザを add して、相互に友達関係にならないと、With Friends のログには相手のログが混ざらない。

こういう仕組みで個人毎の発言ログが独立した実体として扱われてる事実と、元々個人の行動記録であるというタテマエ(入力欄には「What are you doing?」と書かれている*1 )があるので、With Friends の一見会話に見えるログも密着感が薄く、よそよそしいけれど、どこか繋がってる、という、なんだか『カイジ』の鉄骨渡りのシーンのような、ああいう感じだ。逆に言うと第三者が見ても疎外感を感じない、一人一人が集まっているだけで、集団という塊として見えにくい雰囲気になりやすい。

そんなわけで twitter は「コミュニケーションなんて幻想だ。だがそれでいい。通信とは通じると信じること…」というカイジ的コミュニケーション観を持った非コミュ者には心地よいツールになりうるのではないだろうか。*2

もちろん友達を100人も200人も並べてほとんどチャットみたいになってる人もいるが、そんな奴はコミュニケーションの渦に埋没して死んでしまえ!

最後に twitter vision (http://twittervision.com/)について。これは google map と twitter を組み合わせたもので、世界の何処かで誰がつぶやくと世界地図上に吹き出しで出てくるというもの。リアルタイムに更新されていて、開きっぱなしにしておくとなんだかしんみりしてきます。『カイジ』の鉄骨渡りとか『地上の星』とか、そんなイメージ。僕らは一人だけど一人じゃない。


*1:僕は最初「typing」とか書いてしまったが。

*2:kanose さんが好きそうなノリかと思ったが、本人は使ってみたい欲求が湧かなかったそうで。