何故ブログを書くのか問題

一昨日のエントリで、

僕は他人の行動に影響を及ぼしたくて、他人の意志決定に圧力をかけたくてブログを書いているのだけど。みんな互いに影響を及ぼし合って考え方や行動を変えたり変えられたりしあうのが面白くてブログやってるんじゃないの?

ってかなり無茶な事を言ったところ、いろいろ反応を頂きました。

まなめさん曰く:

他人に影響を及ぼしたいというのはないけれど、こういう考え方もあるよというのは提供したいと思ってる。だから、後半の部分は同意。いろんな人から影響受けたいって思う。
私がブログを読むときの楽しみ方(304 Not Modified)

影響を及ぼし合いたいけど、積極的に(一方的に?)影響を及ぼしたいとは思わないということでしょうか。

「影響を及ぼしたい」「圧力をかけたい」はさすがに押しが強すぎますかね。。。

hejihogu さん曰く:

自分の書いた発言によって、他人が何かを感じて行動に影響を及ぼすのは、私は意図してブログを書いています。でも、私の書いてあることが絶対で、それに従わなければならないとは考えていません。どういう行動をすべきかは、各自が自分で判断して決めること、私が書いたことをその行動を決めるときの1意見として読んでもらえたら幸いってスタンス。

だから、影響を及ぼしたいってのは当ってるけど、圧力をかけたいってのは違う。
「自分の価値観を決めるのは自分」という意識の強さの違いなのかな?(北の大地から送る物欲日記)

概ね同意だけど圧力はないだろう、ということでしょうか。

圧力というと人聞きが悪いとは思うけど、例えば他人に迷惑な、あるいはその人にとっても不合理な選択をしているのに対して、相手が十分に納得して100%自発的に動くように影響力を及ぼさなきゃいけないとは思いません。プレッシャーをかけて渋々選択を曲げるようにするというのはありだと思います。まぁ、できればそれはやりたくないというのが人情でしょうが、僕はそういう感覚が薄いみたい。

なお、「「禁止」のニュアンス」についてはコメント欄に書いた通りです。Kurilyn さんの言うように「制止の意図」ぐらいが適切な表現だったと思いました。

eastof さん曰く:

僕は記事を書く時、「僕はこう思っているのだけれど、どうだろ?」という疑問提示的な含みを常に持って書いている。それを表現し伝えられているかは甚だ疑問ですけどね。

僕自身は自分の意見が稚拙なものだと常に感じているし、だからこそ意見を表明しようと思う。それは自らの向上のためだ。今の実力を確認しておかねば、つまりこれから考えるための方向性が見出せない。これを僕は「思考の叩き台」と読んでいる。
このブログの在り方 (eastofの日記(仮))

自分の意見を知らしめることが目的ではなく、他人の意見を聞いて学ぶために、まず自分の意見を表明する、ということでしょうか。勉強会みたいな感じで。なるほど。実際のところそういう人が一番多いのかも。


というわけで実際にはブログを書くのには色々な理由があるわけですが、共通するのは、そこで書かれる言葉にはメッセージ性があるということ。メッセージが目的の場合も手段の場合もあるけど。もちろん世の中には身辺雑記みたいなブログもあるのだけど、そういうのもまた宛先は曖昧だけど「ガラス瓶に詰めてブロゴスフィアの海だか何だかめがけて放り込」まれたメッセージなのでしょう。

メッセージはその受け手に何らかの作用を及ぼすものなので、メッセージを発する人は多かれ少なかれ受け手が影響を受けることを期待しているには違いないのですが、どういう影響を与えたいか、というあたりには色々あると。まあ、当たり前といえば当たり前なのですが、みんなに改めてそのことを意識して欲しくて(影響を及ぼしたくて!)あのように書きました。