大人のための有害情報規制について

昨日の一休さんメソッドはあくまで風刺というかレトリックで、そのまま批判として機能するものではない。

というのは、日本ユニセフ協会等が「こどもポルノ」*1の規制を訴える理由は、それが子どもに対する性的虐待を助長するから、というものだからだ。このロジックで言えば「こどもポルノ」に描写されている児童が実在しないということは問題にならない。

しかし、現在の児童ポルノ規制がそういうロジックではないという点はよく認識しておく必要がある。現在の児童ポルノ禁止法*2は、あくまで具体的な児童の保護を目的としたものだ(個人的法益)。そこに全く性質の異なるロジックを混ぜることは混乱の元だ。今でも3号ポルノの扱いなどで混乱しているのに。

なので、性的虐待を助長することを問題にするなら児童ポルノ禁止法の改正ではなくどこかよそでやってほしい。大人向けの有害情報規制のような枠組みで。そのほうが問題点も明確になるだろう。

仮に大人向けの有害情報規制をやるとして、単に性的虐待について肯定的なメッセージを発する事自体を「性的虐待を助長する」という理由で「禁止」してよいものだろうか?

Domino-R さんは以下のように言っている。

ただ社会問題としてのポルノ表現とは、それが多量に表立って流通することで、その表現内容が社会的に容認され擁護されているというメッセージとなってしまうことだ。
例えば残虐な暴力表現が規制されるべきなのは、それに直接影響を受けたバカモノが同じ行為に至る可能性があるからではなく、そのような行為が一定の社会的合意を得ているものだと受け手に伝わってしまう効果があるからだ。
その「少女」は本当にいないのか? (OAF)

確かに何らかの「規制」は必要だろう。しかし、「禁止」となると相当に強い理由が必要になる。例に挙げられている「残虐な暴力表現」も基本的には自主規制でゾーニングされている。殺人のように広くそのような表現があるものでも「一定の社会的合意」なんてできそうにないものもある。

僕の考えでは、むしろ差別表現のように本音レベルでの「一定の社会的合意」が現にあり、実際にそれが社会正義の実現の障害となっている場合にのみ、法的規制、特に「禁止」という対応が正当化されうると思う。そうでない場合は「対抗言論」という自由な言論に基づく社会的な対応に委ねるべきだ。

児童の性的虐待については現状でも十分異端視されている。ネットのようなゾーニングが曖昧な場ではいかにも「まん延」しているかのように見えるし、秋葉原なりコミケなりに行けば、後ろめたさの欠如にイヤなものを感じることもあるにはあるが、それはそれらの場が解放区的に認識されているからで、*3解放するまでもない当然の事と思われているわけではない。現状では児童の性的虐待を悪とするような「一定の社会的合意」があるのだ。

しかし、何が「虐待」になるのかについてはブレがある。これはこれから社会的合意を形成していかなくてはならない。逆に言えば、規制推進派がやり玉に挙げるようなあからさまな虐待表現は、議論の余地なく危ない妄想として受容されているのでむしろ問題になりにくい。

以前僕はこう書いた。

妄想することと妄想を現実化することは違う。妄想させないようにするのは困難だし、心の自由を奪うことでもある。だから妄想の現実化を抑止したければ妄想と現実の間の隔たりを大きくする方向で対策するべきだ。ポルノ規制は妄想することを妨害するだけで妄想と現実の間には作用しない。

ポルノ規制論について (児童小銃)

児童に対する性的虐待の加害者の一部に「これは虐待ではない」と正当化して、あるいはナチュラルにそう思って、犯行に及ぶ者がいるのは事実だ。性的な事柄についてはどうしても妄想先行で学習していくため現実認識*4が不十分なまま現実化してしまうことがあるのだと思う。

Domino-R さんが注釈で例に挙げた顔射問題も現実の女性がどう思うかを知らないのが原因だ。実際に女性に聞いてみれば大抵の女性はそれを嫌がるという現実を知るのだが、それを知る機会が少ない。妄想的な AV が存在するのが問題なのではなくて、性的メディアが妄想的なものに偏っているのが問題なのだ。現状では現実を知らしめるようなメディアが少なすぎるので、妄想を現実に(ネタをベタに)受け取る人が出てくるのだろう。

だから、単純に妄想メディアを「禁止」してもその状況は改善されない。単に個人個人が思い思いの妄想に耽るようになるだけだ。むしろ網のかけ方によっては現実が伝わるようなコミュニケーションすら阻害しかねない。

しかし、放っておけば市場原理に従って妄想メディアばかり流通してしまうのも現実だ。分別ある大人がネタをネタをわかって見る分には構わないと言っても、それは子供がネタをネタとわかる大人になれるような環境が前提になる。

そのあたり日本の現状は確かに心許ない。性教育という形で市場では流通しにくい情報を子供に伝えていくという努力も必要だし、子供が現実世界で試行錯誤できるような環境も必要だろう。*5

一方、分別のないまま大人になってしまった大人の扱いをどうするかというのは頭の痛い問題だ。犯罪者になってしまった者については再犯防止プログラム(認知行動療法にもとづくもの)も実施されているが、万人に適用できるものでもない。被害者の辛さを伝えるような報道がもっとなされると良いとも思うが、被害者自身に負担になりかねず難しいものがある。

もっとも、個人的な実感としては相手の痛みを理解する以前に自分が性的に承認されることの喜びを知らなくては暴力的な性行為への抵抗感は育たないとも思う。恋愛を性行為の必要条件としてしまうと絶望的な結論に導きかねないけれど。宮台真司が言うように近所のお姉さんが筆下ろしさせるような習慣があればいいのだけど。


*1:協会の定義した用語で、現行法で違法化されている写真・動画以外にも、漫画やアニメなど、子どもの性を商品として取引するものを指す。

*2:児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律

*3:その認識の是非はひとまず置く。

*4:女性の人権、子供の人権に対する無理解も含めて。

*5:誤解されると困るので補足すると、児童買春規制は現実世界での試行錯誤が思いやりのない大人に歪められないための施策であり、これを否定するつもりはない。