非モテミソジニー

タイトルは林檎ジェネレーターで作りました(嘘)

はてブのやりすぎで言いたい事を100文字で言い切る事にすっかり馴れてしまい、むしろ100文字以上は書けない淫らな体になりつつある今日この頃ですが、さすがに色々誤解を招きそうな気がしてエントリを起こしてみます。これの話ですね。

この記事に対して、

rna rna 女は万能アイテムというよりはマストアイテムかな。「精神的に自立」が処方箋? えー?? えらそうなことゆうてるおまえらはほんまに自立しとるんかと。家庭環境や人間関係に恵まれとるだけちゃう?

児童拳銃 - rna のブックマーク

こんなブクマコメントをつけたら速攻で id:furukatsu 氏から☆が四つも! しかも翌日にさらに☆三つ積み増し!!

…☆を付けられるだけでこんなに怖い思いをするのは初めてです。

furukatsu 氏がそこまで共感するような、そんな過激なことを書いてしまったのかと不安になってきたので改めて何を言いたいのか整理して書きたいと思います。つまりこういうことです。

一部非モテバックラッシュぶりが出鱈目かつ大変見苦しいのは全くもってその通り。でも、その処方箋に「異性からの承認や社会の救済などに頼らず、自分で自分自身を立て直すべきではないか」とか「精神的に自立」せよとか、それはおかしいんじゃないか、なんでいきなりそんな話になるのかと。

電ポトの記事を受けて書かれたホントに強い人間は、他者の服従を必要としねえんじゃねえのかな(NC-15) もそうですが、「自分自身が等身大の自分を受け入れ、それを肯定」して「ホントに強い人間」にならなきゃバックラッシュヘイトスピーチもやめられないくらい男ってどうしようもなくしょーもない存在なんですか!?

なんか問題がすり替えられてると思うんですね。そりゃあ「精神的に自立」したり「ホントに強い人間」になればあんなことはしないでしょうね。それは真理でしょう。でもそれって、強くなれば他人を貶める必要はなくなります、幸せになれば他人を妬んだりしないですよ、っていうそれだけの話じゃないですか。

強くなれなくて、幸せになれなくて苦しんでる人にそれはない。つーか、強くなるとか幸せになるとかいうのは単に人生の究極目標であって、何かの手段ではない。自立せよとか強くなれとか言うのは、ゴールにたどり着けばゴールにたどり着けないもどかしさから傍迷惑な寄り道をすることもなくなります、って言ってるのと同じですよ。

そもそも「精神的に自立」した「ホントに強い人間」って、どう考えても少数派ですよ。いや、ボクは自立してるよ! 強いよ! って人はよくよく考えてみてほしい。例えばある日突然、周囲の女の子が汚いものを見るような目であなたを見るようになる。話しかけても無視され、近付けばあからさまに嫌な顔をされ逃げられる。これはいったいどういうことなのかと、親友に尋ねようと声を掛けると親友は脅えたような顔をして黙って逃げ出してしまう。「精神的に自立」した「ホントに強い人間」ならこんな状況でも耐えられるよね? 人を恨んだり荒んだりしないよね?

まあ、これは極端な話だけど、何気ない日常生活がどれだけ他人の善意によって支えられているか、何気ない言葉、何気ない態度、何気ない笑顔、そういったものに僕らがどれだけ依存しているかを思えば「自立」とか「ホントに強い」とか軽々しく言えないと思うんですよ。そこを軽々しく言えてしまうくらいの図太さ(誉め言葉です)があってこその自己肯定なのかもしれませんが。

話が横道にそれました。要するにですね、精神的に自立してないこと、ホントの強さを手に入れてないことは、フツーの人のフツーの状態でしかなくて、そんなことがバックラッシュに直結するわけじゃないんですよ。そこで自己啓発的なメッセージが出てくるのはおかしいんじゃないかと。

じゃあお前はどう思うんだよ!

という声が聞こえてきそうなので簡単に。

まず、何が問題か。非モテの人がモテるようになるにはどうしたらいいかという問題ではない。それは muffdiving 氏が言うように「自己責任」の範疇だ。問題は非モテの人のバックラッシュ的な被害感情が共感を呼び一定の勢力を持ってしまうことだ。ごく少数の人が過激な事を言ってても相手にされなければ問題ない。見苦しいヘイトスピーチでもそれが相手にされないと予期できるなら眉をひそめつつもスルーすればいいことだ(それもまた自己責任の範疇だ)。

被害感情を抱いた非モテがネットで勢力を持つのは、単にネットのアーキテクチャが点在するマイノリティーを接続し互いに互いを可視化するから、というのもあるけれど、実際そういう人が増えているのではないか。モテない人が増えたのではなくて、モテない事に今まで以上に危機感を持つ人が増えたのではないか。非婚化・晩婚化は現実に進行しており、このままでは結婚できないんじゃないか、という不安が広がるのは当然だと思う。

結婚とモテには距離があるが、結婚できそうかどうかというのは、自分が一人の男性として、あるいは女性として承認されるということをどれだけ期待できるかということのバロメータにはなるし、実際そのような形で参照されていると思う。普通に生きていれば一定の歳になれば結婚できるものだと思えるなら、非モテは今この時点での不満でしかなく将来への不安にはなりえない。

結婚できないかもしれない、愛されないかもしれない、という不安は女だって同じじゃないか、なのになぜ男ばかりヘイトスピーチを撒き散らすのか、この非対称性はどこから来るのか、という疑問は当然出てくる。

一つは実際に男のほうが結婚が難しいという非対称な現実がある。2005年の統計で生涯未婚率は男性が16%、女性が7%だ。*1 女のほうが将来に希望がある分、自暴自棄になってわめきちらしてますます嫌われる愚を犯したくないと思えるのではないか。

この差がなぜでてくるのか僕にはよくわからない。ご存じの方は教えて下さい。一つ考えられるのは初婚年齢が男性の方が遅いことで、近年差が縮まっているものの2歳くらい差がある。また、再婚では男性の方が年上のことが多い。夫が再婚で妻が初婚だと平均婚姻年齢の差が8歳近くある。*2 でも年齢差はここ30年くらいを見てもあまり変化してないのに対して生涯未婚率の男女差は大きく変化している。30年前には男の方が低かったくらいだ。だから年齢差以外に何か大きな要因があるはず…

もう一つは男は制度化された性別役割分業による既得権益を失いつつある側だという非対称性。これは別に非モテ当事者が悪いわけではないだけに、自分が悪くないのに損をするのは誰かが悪いことをしたせいだ、自分は被害者だ、という思いにとらわれがちだ。でも損をしたというのがそもそもの勘違いで、不当な利益を得られなくなっただけなのだ。ただ世代というものがあるから本来責任が問われるべき上の世代はヤリ逃げできてしまう分、下の世代にはますます理不尽な思いが募ってしまう。

もっとも性的承認についての将来不安がミソジニーに至る必然性はあるのかというと、それはどうだろう、とは思う。でもネットのヘイトな書き込みを見てるとガチで男尊女卑というよりは必死で女を「すっぱい葡萄」扱いしてるように見える。「ボクのこと見捨てないでよ!」って素直に言えなくて、半端に強がってマッチョオヤジの汚いボキャブラリを借りてきてるだけじゃないですかね。強がりって言っても威勢がいいだけで本質はヨワヨワじゃないかとは思うのだけど。

えーと、処方箋? そうね。時間が解決するんじゃないですか(なげやり)。既得権益の崩壊が中途半端に進んでるせいで期待と現実が混乱して期待はずれが発生してるだけで、期待水準が低い方に安定すれば落ち着くんじゃないでしょうか。不安を煽って肥え太る保守系政治勢力に利用される懸念はあるけど、id:furukatsu 氏みたいに左翼っぽく噴き上がる勢力ががんばってると、利用しにくくなってむしろいいんじゃないでしょうか。

なんだかしりすぼみですが疲れたのでこのへんで。