新自由主義/ネオリベラリズム

G-Search で80年代半ばから90年代にかけて「新自由主義」とか「ネオリベ」で検索して適当にピックアップ(1件100円で全部開く気にはなれなかったので)。80年代からDB化されてるのは朝日と読売だけなのでこいつらから検索。

朝日は80年代はちょっと混乱しているが、概ねレーガンサッチャーの経済政策を指して「新自由主義」と呼んでいる。でもネオリベラリズムという言葉はこの時期には出てこない。

 思い上がった軍部の、自らの軍事力の過大評価が日本を無謀な戦争にひきずりこんだ。ところが、今は強力な経済力を過小評価することで、日本に対する国際世論を悪くしている。自らの力を客観的に、正当に評価し、思い上がるのではなく、謙虚にその力を世界平和のために活用していかなくてはなるまい。世界総生産の一割を占めるようになった日本に、国際的責任が生じてきたのだ。

 経済の自由化は、強い生産力を持つ国にとっては有利である。自由化の潮流に乗ることは、日本に不利ではない。

 それに自由主義経済への復帰といっても、失業保険も社会保障国民年金もなくなる弱肉強食の時代に戻るのではない。民主主義国家では、そんなことをする政治家は選挙に負けてしまう。現にレーガンサッチャー社会保障費を抑制はするが、廃止はしない。だから失業者の一部もレーガンサッチャーに投票している。

 ニューディール政策大きな政府、あるいは計画経済は、恐慌で職場から追われた失業者がなすすべもなくほって置かれた状態をなくするためにとられた。それはそれで成果を上げたが、五十年たってみると、制度にほころびが生じ、経済の活気をなくし、かえって失業者をふやすことになってしまった。

 歴史は繰り返すというが、全く元のままに戻るのではない。新自由主義の潮流もニューディール精神の全否定ではなく、それを包み込みつつ欠点を是正していくことになるのだろう。昭和六十年代はその歴史的転換期に当たる。

「昭和経済60年 いま生かそう自由化の流れ」朝日新聞 1985.01.04 東京朝刊 8頁

 米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相そして日本の中曽根首相が推進している新保守主義、または新自由主義の経済政策は、3人の政治家の“タカ派”的言動をいやがる人たちにうとまれ、米国経済の失敗、保護主義の台頭などをみて、「もうぼつぼつおしまい。これからまた“大きな政府”を目指すケインズ主義に戻る」という人がいる。

 果たしてそうか。新自由主義の根幹をなす「デレギュレーション」、つまり政府のいろいろの規制を撤廃または緩和して民間の自由な動きにまかせることと、「公企業の民営化」は相変わらず進んでいる。

「自由化の潮流(経済ウオッチング:2)」朝日新聞 1987.07.15 東京朝刊 4頁

意味が逆になってるのもあった。

 ひよわな新自由主義の限界を突いて民主党カーター氏から政権を奪った共和党レーガン氏にとって、小さな政府、大幅な企業減税、“軍事ケインズ主義”を組み合わせた「レーガノミックス」は、「強いアメリカ」の再生を目指す大きなかけであった。しかし、1980年代の方向を示したこの戦略も、イラン・ゲート事件、「双子(貿易と財政)の赤字」の累増によるドルの崩落などで大きな試練を受け、昨年11月の中間選挙での共和党敗北につながったことは記憶に新しい。

 ベトナム戦争を赤裸々に描いた映画『プラトーン』が爆発的な人気を呼び、70年代の新自由主義の復活という、新たな挑戦も受けつつあるレーガン氏。片や「戦後政治の総決算」の目玉に掲げた売上税が、野党の猛反撃で事実上の廃案を余儀なくされ、統一地方選挙での自民党の敗北という苦渋を味わっている中曽根氏。

レーガン大統領と会見して 中江利忠朝日新聞東京本社編集担当」朝日新聞 1987.04.30 東京朝刊 1頁

これはよくわからない。

 もっとも、石油価格の長期低迷も手伝って、このところ消費者の大型車志向が強まっている。この大型車人気の再来は、レーガンの米国の保守化、愛国心の高まりと呼応して生まれている。そして、それは小型車を志向する「スモール・イズ・ビューティフル(小さいことは美しい)」の新たなネオリベラル(注2)の流れと政治思潮ではぶつかっている。フォートワース(テキサス州)の高校生自警団が「ちっぽけな外国車なんか、ぶっ飛ばせ」と叫んで、外国製小型車を壊して回った事件は、極端な例であるとしても、保守派の心情を表している。

(中略)

(注2)昨年の民主党大統領候補に立候補した上院議員ゲリー・ハートを推した層。大企業擁護の共和党保守には反対するが、大労組の力の強い民主党主流にも反発。

ダウンサイズする米国の夢(いらだつアメリカ・摩擦深部:20)」朝日新聞 1985.11.01 東京朝刊 4頁


読売新聞は80年代は新自由主義ネオリベ共にヒットせず。90年代から南米諸国の経済政策という意味で使われている。

 小さな政府を基本とする自由主義経済政策。国家主導型経済が財政赤字や急激なインフレを招いたとの反省から、中南米の多くで導入された。従来の政策を百八十度転換し、市場原理の徹底、貿易や投資の自由化、国営企業の民営化、各種補助金カットなどを柱とする。国際通貨基金IMF)によって、同政策の推進を融資の条件とされている国も多い。ペルーのフジモリ大統領は、サリナス前メキシコ大統領、アルゼンチンのメネム大統領らと並び熱心な推進者として知られる。インフレ沈静化などで成果をあげたが、貧困層に過大な負担を強いるとの批判も強い。

「〈解〉ネオ・リベラリズム」読売新聞 1996.12.25 東京朝刊 4頁

 フジモリ氏は、ネオリベラリズム(経済の新自由主義)の旗手として、中南米特有のポプリスモ(大衆迎合主義)と一体をなしてきた経済の国家による介入、保護を排除し、徹底的な自由化、開放策による経済立て直しを進めてきた。それが、好調な経済成長達成(九五年見通し七、八%)などマクロ指標の好転に表れてきた。

 だが、ペルーでは、労働力の八割近くが完全失業者あるいはパートなど不完全な就労者であり、人口二千二百万人の半数以上が食べるのがやっとの貧困者とされる。過去五年間の大胆な国営企業の合理化や緊縮施策が弱い立場の労働者を直撃し、失業率上昇や貧困悪化を招いたとも指摘されている。

「フジモリ政権2期目へ ペルー「脱貧困」に期待 公私・内外とも難問一段落」 読売新聞 1995.07.29 東京朝刊 5頁

ちなみに朝日新聞で「新自由主義 = ネオリベ」としたのは 2001 年のチョムスキー書簡が最初みたい。

 まともな市場制度では、自己破壊的な傾向は、社会規制によって緩和されるはずです。ところが、まさにこれらの制度的規制が過去二十年間にわたる社会政策において、固い決意をもって弱体化されてきているのです。それらの政策は「新自由主義的(ネオリベラル)」という紛らわしい名で呼ばれますが、一向に「新しい」ものではなく古典的自由主義創始者たちが知ればあきれることでしょう。

 これらの政策は、民主的規制と参加を弱体化することを意図しています。その主たるやり口は、公的活動領域を削減して、決定権を大企業、その配下の国際組織、ならびに少数の強力な国家の無責任な私的専横に移譲することです。強力な国家が大企業の「道具でもあり暴君でもある」という言葉は、ジェームズ・マディソンが自ら構想に力を貸した民主主義的実験がたどり得る運命に対して発した警告ですが、マディソンが想像した最悪の悪夢を通り越して、現実のものとなっているのです。

 「新自由主義的」政策は、経済成長と福祉に適用されて、危害をもたらしています。しかし、最も危険なのは民主主義と自由に対する攻撃です。これ自体、耐え難いことです。民主主義と自由はそれ自体固有の価値であり、目的に資する手段ではありません。それに対する攻撃は、強力な権力組織に深く根づいている破壊衝動に対する潜在的抑制の、息の根を止める短剣でもあるのです。

「N・チョムスキー氏から大江健三郎氏へ(未来に向けて 往復書簡)」朝日新聞 2001.07.17 東京夕刊 17頁

おまけ。

★ 突然だが今更ながら叫んでみる / いなば

藻前らもー金輪際ネオリベとかゆーなー! 

ネオリベラリズム」という概念だけでもいいかげん怪しいとゆうか中身がないのに、それを更に略して「ネオリベ」とかゆう奴は頭悪すぎ。
つまり××も○○も△△もバカ。『現代◇想』とか『■況』に書いてる奴の5割方はバカ。

No.614 2004/10/15(Fri) 12:29

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