自由と平等

自由と平等どっちが基本かと言えばそれは文句なしに自由のほうだ。平等は第一の目標になりえない。それは誰かの自由が別の誰かの自由を侵害する場合にどう調整するかの原則として導入されるものだと理解している。

現実的に考えて純粋に平等を優先して自由を制限するなどということはありえない。平等は誰かが自由を求めた結果だ。平等第一だというのなら最貧国で今まさにこの時にも何の罪もない子供たちがただ貧しいというだけで死んでいる現実があるのに、それを放置して平等とか言ってるのは欺瞞以外のなにものでもない。

片方は生きて片方は死ぬということ以上の不平等なんてこの世にないのだから、本当に平等が第一だと言うのなら、せめて医療NGOに全財産の半分くらいは寄付してから言ってほしいものだ。寄付じゃ根本的な解決にならない? しかし今すぐ根本的に解決できないのなら、それまでの間に死んでいく人たちと僕等の間の不平等はどうするの?

もちろんこんな話は極論だ。全財産の半分寄付するべきとか本気で言う奴は頭がおかしいというのが世間の常識的な判断だろう。なぜかといえば最貧国で子供が死ぬのは僕等のせいではないからだ。少なくとも僕等は直接的に彼らの自由を奪って自分たちの自由を手にしているわけではないからだ。

最貧国の子供を見殺しにして野良猫を保護する自由。最貧国の子供を見殺しにしてエロ本を買う自由。最貧国の子供を見殺しにしてスイーツを食べる自由。最貧国の子供を見殺しにして自分の子供に綺麗な服を着せる自由。そういう自由を僕は肯定する。