Re:人種同一性障害について

id:muchonov さんの以下の記事へのお返事です。

前置き

本題に入る前に前置きを。

ここでは原則として議論の大元になった米国人少女の話題からは離れて、一般論に限って述べたいと思います。僕が英語が苦手で当人の主張をほとんどチェックできてない(聞き取りが全然ダメなので例の動画も見れてない)のと、これから書くことが未成年者の発言に対する非難めいたものと受け止められたくない、というのが理由です。

疾患概念への懸念について

「人種同一性障害」という主張を聞いてまず僕が感じたのは、ニセ科学的に対するそれに近い警戒感です。

提唱された当時は医学界からは否定的されていたが後に広く受け入れられるようになった疾患概念だってもちろんあるのですが、一方で精神的な困難を抱えた人が根拠のない疾患概念に引き寄せられて適切なケアを受けることを阻害されていると思われる例も少なからずあります。*1

この種の懸念は、たとえそれが「ポリティカル・コレクトネスに刺さる」説であっても払拭できるものではありません。それが疾患であると主張する以上、医学的な観点での妥当性が求められるのではないでしょうか。そしてその立証責任は新しい概念を提唱する側にあります。

「人種同一性」あるいは「日本人であること」について

もう一つひっかかったのは「人種同一性」というのが、ethnic identity の事を指すようで、これは個人の自己認識の問題では済まない話ではないか、民族の歴史の中で継承されてきたものを担う人たちの共同性に従属しない ethnic identity なんてあるのか? ということです。

このあたりは、最初はうまく説明できそうになかったので、ブックマークでのやりとりでは話題にしませんでしたが、改めて考えてみると、こっちの方が大事な気がしてきました。ethnic identity 一般について専門的な知識があるわけではないので、ここでは僕にとって僕が「日本人である」という感覚がどのようなものなのかを説明します。

日本で暮らし、日本文化に馴染み、日本人的な考え方をする、という意味では、生まれや国籍がどうであろうと誰だって「日本人になる」ことができる、と僕は考えます。そういう意味での「日本人になりたい」という気持ちなら、むしろそれをわざわざ「人種同一性障害」という疾患概念を通じて理解する必要がどこにあるのか僕には全くわかりません。*2

でも、ethnic identity としての「日本人であること」は、そういう意味ではないと僕は感じています。

僕の感覚では、「日本人であること」には、たとえば、過去に日本人が犯してきた過ちを自分たちのこととして受け止めること、日本の未来について責任を感じること、というようなことも含まれるのです。

たとえば南京事件について、それを過ちとして反省するにせよ、そんな事件はなかったと否認するにせよ、その「事件」が他人事ではない自分たちのことだと受け止めるからこそ、そのように反応せずにはいられないのです。ethnic identity というのはそういうものではないでしょうか。

「日本が好き」という気持ちが「日本人であること」なのではありません。むしろ「日本が嫌い」だとしても、それがまるで自己嫌悪のように感じられ、だからこそ、日本を変えたい、と思わずにはいられなくなるような、そんな感覚が「日本人であること」だと思います。*3

もちろん、そういう意味での ethnic identity がない人、希薄な人、というのは日本人でも大勢いるだろうし、それが悪いとか不自然とか言うつもりはないけれど、ethnic identity を語るなら、そこまで考えて欲しい、ということです。

未整理の色々

この話題に絡めて書きたい事は色々あるのですが、今はちょっと気力が続かなくて、うまく整理できません。ほっとくといつ書けるかわからないので、雑多な思いつきを箇条書きにして残しておきます。。。

  • 安田浩一『ネットと愛国』で紹介されている、在特会の通称「ダルビッシュ」君の話。イラン人・日本人のハーフとして生まれ、その容姿からどうしても「ハーフ」として扱われることと、彼の日本人としてのアイデンティティとの間の齟齬が、彼を極右運動へと駆り立てた。人種的違和感による苦痛と聞くとどうしてもこの話を思い出してしまう。
    • でもそれは彼が病気なのではなく、彼をとりまく社会の差別の問題だと思う。
    • もっとも ethnic identity って差別性・排他性抜きに成り立つのか? という疑問も…
  • アイデンティティ選択の自由の話。性同一性障害なんて言わなくても、そもそも性別なんて自由に選べていいんじゃないか、という考え方はありうる。しかし一方で人種とか民族についても同じ事が言えるのか。
    • id:macska さんの「「人種同一性障害」とわたしの身勝手な論理」で考察されている。
      • 疾患概念の話じゃなくて人種の自己決定を認めるか否か、認めないとするならなぜか、というのがテーマ。
      • 「自称○○人」が、オリエンタリズムの一種であり、文化的搾取・文化的略奪の口実になっている場合があるとのこと。
      • 「人種同一性障害」の話は、それが性同一性障害概念への批判として持ち出された事実があるという文脈で出てきてるので、今回の話とはちょっと違う。
  • ethnic identity って自称じゃダメで共同体からの承認抜きには成り立たないのではないか? という話。
    • たとえば勝手にユダヤ人自称したらヤバくない? とか。
      • いや、某自称ユダヤ人ヤバいよね、とかいう話ではなく…
  • 何を医療の対象とすべきか。
    • アイデンティティ選択の自由」で済ますと、手術するなら美容整形扱いだよ(保険きかない)、自己決定故に自己責任、って話になりかねないが…
    • それじゃ困るって事はやっぱりあるわけで、疾患概念大事。



idトラックバック:

*1:前者はいわゆる多重人格など。後者については当事者を刺激しかねないので敢えて例は挙げません…

*2:いや、本当はちょっとは引っ掛かるところはある。在特会の通称「ダルビッシュ」君の件とか。

*3:このあたりは「愛国的」な日本人に対して僕が感じる違和感・苛立ちとダブる部分が大きいです。