「いい文章」について

わかりやすい文章とか読みやすい文章とかはわかるけど、「いい文章」というのがさっぱりわからなくて、特に文学的な価値基準での良さというのが本当にわからない。別に情緒に訴える表現に自分の心が反応したりということがないわけではないんだけど、そういう個人的な感覚を一般化して「良さ」として評価していいのかどうかよくわからない。

でも世の中の多くの人は、文章を評価するのに「いい文章」かどうかを、しばしば文章が主張する内容よりも高く評価するようだし、そういう文学的な、あるいは詩的な「良さ」がわからない人を、人間として程度が低い、もっと言えば人間扱いする価値のない者として扱う空気をひしひしと感じるので、本当に肩身が狭い。

そんなこともあるので、文章を読んでて「あれ、これって「文学的」に評価しないとダメなやつでは?」という雰囲気を感じると、とたんに言及し辛くなる。これは黙っとこう、僕がなんか言っても誰も喜ばないやつだこれ、ってなる。合唱で一人音程外して嗤われたり疎まれたりするみたいになるやつだ、って。

なので「あれ、なんばはアレ読んでたはずなのに何も書かないな、なんでだろう?」とか思うことがあるかもしれませんが、そういう事情がある場合もあります。まあ、そんなこと思ってる人いないと思うけど…

(初出: facebook)