私をオープンソースと呼ぶな!(ドキューン)

春のオープンソース祭(羊堂本舗のリンク集)。派生的な議論に面白いものもありましたが、全般的になんでこんなことでモメてるの? って感じ。僕から見てもこういうこと(Matzにっき)のように見えてしまったのだけど、色々考えてるとわからなくなってきた。

オープンソースという言葉を作った人たちには主観、というかある種の価値観(ソフトウェアの自由)に対するコミットメント、すなわち思想的なものがありますが、彼らのとった戦略は彼らの価値観へのコミットメントを要求しないということです。そういう意味で「オープンソース」は思想ではありません、単なる価値中立な言葉です、と。

でもその背景には(あくまで背景に、ですが)「コミットメントを要求しなくてもソフトウェアの自由は可能だ」あるいは「コミットメントを要求することが逆説的に目標達成を疎外している」という主張があるわけで、これはソフトウェア自由主義にコミットメントしない人にとってはどうでもいいことなんですが、既にソフトウェア自由主義にコミットメントしてる人にとっては争点になるでしょう。そういう意味で「オープンソース」にはソフトウェア自由主義内部での特定の政治路線を支持するニュアンスはあります。「オープンソースと呼ぶな」派はそのへんを問題にしているのでしょうか? そういう意味での「色」が問題になっているのならまつもとさんの言うような「誤解によるもの」ではないと思う。

とはいえ「オープンソースと呼ぶな」派な人からは頻繁に「政治的」「プロパガンダ」「胡散臭い」という言葉が出てきますが、具体的にどう政治的でどういうプロパガンダでどういう害悪を懸念して胡散臭いと言っているのか、というのがいまいちはっきりしないのでなんとも。。。