「共同体」と「自己決定」

山形部室経由で Kawakita on the Web より「宮台真司・仲正昌樹トークセッション〜「共同体」と「自己決定」〜発言録」:

http://kawakita.jugem.cc/?eid=270

イラク人質問題、自己責任論、右翼と左翼、リベラリズムアイロニー問題、社会運動論、共同体的自己決定、ドイツの戦後補償問題、イエスによるユダヤ教の「脱構築」、応答可能性としての責任。←キーワードっぽいのを並べてみました。

宮台氏がリベラリズムの基本としてよく言及する立場の置き換え可能性について、仲正氏は政策においては考慮すべきだが個人の行動原理にはなりうるのかについては疑問、としていたのが気になりました。自分は置き換え可能性なんて考えないけど、置き換え可能性に配慮した(自分の利益だけ考えれば最適とは言えない)政策を支持します、ってのはありうるんだろうか。最低限置き換え可能性についての想像力を持った上で、公私を区別して私的な行動では利益を追求するってことかな。『寄生獣』のクライマックスでの主人公の決断*1を思い出した。

なお、上でちらっと出てくる仲正氏と統一教会(世界基督教統一神霊協会)との関係については以下を参照:

http://www.bund.org/opinion/1119-2.htm