「知りたくない権利」

一般にそういう権利はあっていいんじゃないかとは思うんですが、「子どもを守ろう」って流れでこういう話がでてくるのはさっぱりわかりません。子どもは自己決定能力が乏しいからこそ守られるべきって話なのに、子どもの側の権利行使としての「知りたくない権利」ってありえない。

ていうか、これってなにげに小児性愛者がよく使うレトリックと同型だったりするんですが。子どもにも性的自己決定権があるので、子どもには大人とセックスする権利がある、子どもが望むならば大人はそれを尊重すべき、というもの。これは自己決定権と自己決定能力を混同した議論で、本来ならば自己決定権はあっても自己決定能力が未熟なため結果的に自己決定権が侵害される(望んだものと違う、望まない結果になる)ことになりがちだから権利行使を制限する、という論理になるところ。

「知りたくない権利」というのも、本来ならば「知る権利」を制限するという論理になるはずで、あくまでパターナリズムであるから過度な制限にならないよう慎重に対応すべき、というふうにならなきゃおかしいと思うのだけど。

率直に言うと、子どもの「知りたくない権利」というのはバランスをとるという悩ましい作業をサボるための詭弁にすぎないと思う。極論するなら、むしろ子どもの「知りたくない権利」の行使を制限して、子どもたちに世の中のことを教えるのが大人のつとめじゃないのか。