「ミラーコピーと称してくれないか」については同意。しかし「cacheでないものをcacheと呼ぶことの弊害」というのは疑問。それについては以前 [id:rna:20040913] で書きました。弊害と言うけれど [id:HiromitsuTakagi:20040912#p1] では(著作権の観点から)なにがそれほど「害」なのかよくわかりませんでした。
それはともかくとして、逆に(無断で行われる)ミラーの「益」について以下のように考えてみた。
著作者の意向で絶版になった本(の合法的なコピー)の図書館や古書店からの破棄や撤去を義務づける習慣はないと思う。これは本の流通自体は「複製」ではないので著作権法で縛れないということもあるが、著作者による事後的な制御権*1を無制限に認めるわけではないという社会通念があるのだと思う。
無制限でない理由が流通に関わる者への負担の重さによるのか、国民の知る権利との対立によるのか、によって話が違ってくるのだけど、このあたりの国民的合意はあるんだろうか? とりあえずそれぞれについて検討してみる。
通常、ネット上ではコンテンツの移動(というか複製)は著作者側と利用者の間で直接行われるので、流通在庫が残るとか図書館に残るといった事は、誰かが積極的に複製および公衆への再送信の仕組みを作らない限りありない。よって、著作者の事後的な制御権を徹底するのに流通への負担は基本的に発生しない。
一方、ネット上では情報の移動が「複製」を通じてしか行えないし、公開されたコンテンツの多くはネット以外での入手が極めて困難だ*2。そのため著作者の制御権を無制限に認めてしまうのは知る権利との間により大きな対立が発生しうる。
知る権利との対立については、国民がそのコンテンツにアクセスすることに公益性があるのなら、公益の部分について何らかの主張をするコンテンツへの(私的複製物からの)引用の形で公開できるはずだからミラーを擁護する理由にならないという反論がありうる。しかし公共の場にオリジナルが残っていない状況では第三者が引用の正当性を確認する手段がない。公共図書館のような制度がネット上にもあればいいのだが現状ではない。
以上は立法論に属する話で現行法の法解釈とは別問題。でも高木さんの最初の議論も、現状ではキャッシュも違法になってしまうので一定の要件を満たすキャッシュは合法にできないか、という立法論だと思うので話は噛み合ってるはずだと思います。
また、以上ではプライバシーの問題(プライバシー保護の観点から揮発性と透過性を兼ね備えたキャッシュのみを合法とすべきなのかどうなのか)については考慮していません。それも大事なことですがとりあえず今の文脈では別問題だと思ったので。
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