僕からは近くても君からは遠い

「猫にカンパするくらいならユニセフにでも寄付して欲しい」([id:rna:20050303#p1])の件について少し触れられてるのだけど、この件については色々誤解もあったようで疑問の声もありました。darts さんの言うようにある種のバランス感覚なんだけど、ちょっとわかりにくい話かとも思うのでこの機会にまとめておきます。

まず僕の基本的な立場は人間優先主義です。生き死にの問題になれば当然動物より人間を優先すべきだと思うし、ハンティングのようにある意味残酷な行為も文化的価値が社会的に認められているなら容認します*1

ただし人間なら誰でも等しく優先するかというとそうではありません。優先順位的にはこんな感じです。

 自分 > 身近な人間 > 身近な動物 > 見知らぬ人間 > 見知らぬ動物

「身近な」というのは心理的な距離感のことで、親しい、あるいは一方的に親しみを感じるという意味です。人間優先と言いつつ「身近な動物」と「見知らぬ人間」の間で逆転がある点に注意。これを無難な言葉に翻訳するなら「ペットは家族の一員」。「身近な」と「見知らぬ」の境界線をどこで引くかという点には個人差はあるでしょうけれど、妥当な優先順位だと思います。

さて、僕が最初に目の見えない猫と遭遇した時点ではこの猫は「見知らぬ動物」でした。が、目が合っちゃった*2ので仏心が出てきてしまい、わざわざ警察に預けたわけですが、そこから予期せぬ事態に流されてずぶずぶとこの猫に関わることになってしまったのです。

こうなるとこの猫はもう「見知らぬ動物」ではなくなって「身近な動物」の底辺あたりに来てしまいます。最初の時点ではこの先どれだけ手間とお金がかかるかなんて気付かなかったので、自分に対して「そんなお金があればユニセフに…」というような比較はできませんでした。気が付いたら手遅れという感じ。

しかも [id:rna:20050303#p1] の時点では、多少お金をかけてもこの猫が助かるという保証は何もない状態だったので、その時点でお金を出されても全く無駄になる可能性がありました。もちろん「身近な」対象に対してなら無駄とか言ってられないわけですが、僕には身近な猫でも読者の皆さんにとっては見知らぬ猫なのです。だから今一度優先順位を確認して賢明な選択を促す、という意味であのような事を書きました。

ちょっと嫌な事を言えば、一時の感情で優先順位を歪めて無理にカンパした人とは、後で「結局安楽死させました」という事になった時にトラブルになる可能性が高いだろう、というのもあります。見知らぬ動物 > 見知らぬ人間 という優先順位の人についても意見の食い違いがでてくるので同様です。もちろんカンパなんてヌルい事を言わずに里親になってくれるのなら歓迎なわけですが。

また、僕から見ても「身近さ」はギリギリの線で、かなり馬鹿な事をやっているという自覚はありました。自分のお金ならともかく他人のお金でそんな馬鹿なことをやるわけにもいかないだろうという気持ちも強かったです。

ちなみに今の里親さん候補は…

「猫馬鹿」というわけではありません。僕の飼育記録を見て、これなら飼えると踏んだ上で連絡してくださいました。拾った当時は不安要因が沢山ありましたが、連絡を頂いた時点では、先住猫との相性問題以外はなんとかなりそうという状況でしたので。

未検討

「身近な人間の身近な動物」の優先順位はどう位置付けるのが妥当だろうか?



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*1:自分はやらないかもしれないけど、人がやるのを止めたりはしないということ。

*2:目はないんですけどね。