平安の祈りの意味

RIR6の人が納得いかないらしい(via: [id:hotsuma:20050611#p2])。

僕はそうは読まない。平安の祈りのキモは最後の「そして、この二つを見分ける賢さを」だと思う。「変えられないものを受け入れる」は一見保守的だけど、変化そのもの、例えば逆らえない時代の流れを「変えられないもの」と見ると保守批判にもなる(たしか宮台真司はそういう使い方をしていたと思う)。

祈りというのは理を越えた現象を願う神頼みだけじゃない。無知な人間に真理に近づくチャンスを与えたまえというのも祈りだ。人は無知ゆえに(あるいは誰かの悪意によって真実が隠されているがゆえに)「変えられるもの」を「変えられないもの」と思い込み隷属に甘んじたり、「変えられないもの」を「変えられるもの」と思い込み多大な犠牲を払って空しい努力を繰り返したりもする。

だから勇気だけでなく見分ける知恵が必要になる。知恵を伴わない勇気は無謀な蛮勇だし、勇気を伴わない知恵だけでは人はリスクに立ち向かえない。