アンチジェンダーな小谷野敦

macska dot org でバトル勃発。

コメント欄に小谷野氏が降臨して論争中です。

僕には小谷野氏の主張がほとんど理解不能なんですが。ジョン・マネーが(失敗した)双子の実験で明らかにしようとしたことは、一言で言うと「性自認ってセックスなの? ジェンダーなの?」って話でしょ? なんでこれが失敗することでジェンダー概念そのものが否定されるのかさっぱりわからない。性差って性自認だけじゃないでしょうに。

ていうか、普通ジェンダーって言うと性自認に依存して選択される行動パターンや、その選択を促す(あるいは強制する)ような社会的な性差のイメージの方を主に指すんじゃないですか?

男女共同参画社会について(内閣府 男女共同参画局) より:

(1)「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)とは

 人間には生まれついての生物学的な性別(セックス)があります。一方、社会通念や慣習の中には、人間の社会や文化によって作り上げられてきた「男性像」、「女性像」があり、人々は成長するにつれ、社会生活の中で期待される「男らしさ」、「女らしさ」を身に付けたり、「男にふさわしいと考えられる行動」、「女にふさわしいと考えられる行動」を行うようになります。このようにして形成された男性、女性の別を「社会的・文化的に形成された性別」(ジェンダー)といいます。
 「ジェンダー」の特徴の具体例としては、「男性は仕事、女性は家庭」、「女性は政治家や管理職、科学者や技術者に向いていない」、「女性は補助職向きである」、「男性は一家の大黒柱として家族を養う」、「男性は育児よりも仕事優先」といった性別による固定的な役割分担が挙げられます。また、「男性は女性よりも偉い」、「女性は控えめで従順であるべき」などの偏見が見られます。このような男女の差別や偏見等につながるものを押しつけるのは見直すべきです。
 また、「男らしさ」、「女らしさ」については、例えば「高校生の生活と意識に関する調査報告書」によれば、男性のイメージは「乱暴な」「頼りになる」「冗談のうまい」「不良っぽい」「リーダーシップのある」等、また女性のイメージは「かわいい」「おしゃべり」「わがまま」「やさしい」「おとなしい」等と様々な項目が入っており、国によっても人によってもイメージの捉え方に差がみられます。
 このように、「男らしさ」、「女らしさ」の具体的な内容は多岐にわたっており、また、個人がどのように考えるかは自由ですが、特定の「男らしさ」、「女らしさ」を他人に押しつけることは避けなければなりません。
 他にも、「男性は背広にネクタイ、女性はスカート」といった服装に関する違いや、「女の子のいる家でひな人形を飾り、男の子のいる家で鯉のぼりを立てる」という例がありますが、このようなことまで否定するものではありません。

例えば、小谷野氏が keyword:小谷野敦 に追加された(ていうか僕が追加した)「ネットでのトラブル」という項目を速攻消してしまう*1、というような行動を「男らしくない」とか「女の腐ったような」などと評価する事を可能にするような男女の区別のイメージなんかを指すのが「ジェンダー」だと思ってたんですが違いますか?


*1:参照:g:foucault:id:VanDykeParks:20050913。ちなみに僕は軍事革命(RMA)じゃありません。