ちょっと charlie を DIS っとこうか。

macska 氏と charlie (鈴木謙介)氏が『バックラッシュ!』の件でごたごたしそうな気配。macska 氏のブログのコメント欄に charlie 氏が長〜い書き込み。ていうかネットでは久しぶりに見るな、charlie の書き込み。

「弱者男性」の話はバックラッシャーの話に限定しているのだから「強者もしくは強者になれたはずの層」しか出てこないのは当然だと思うが、鈴木論文では「手当て」「サポート」の具体的な中身が見えないこと、導入部でも結論部でもバックラッシュ批判派を DIS るような書き方になっていることから、誤読されかねないよな、とは思う。

それはそれとして、

これ。

もっと簡単な言い方をするなら、「話の通じないバックラッシャーは放置せよ、ただしバックラッシャーの主張にも一理ある、と思う人びとが増えないような政策的手当を講じるべし」(宮台口調)ということになります。

charlie のコメント 2006/07/20 - 06:54:59 -

「バックラッシャー」を改心させるのは無駄(無理)だと思うけど、「バックラッシャーがふりまいたデマ」は放置しちゃダメだと思う。こういうデマは不安を抱えた人たちをつり上げるフックになるから。

鈴木論文では冒頭にネットでの「情報戦」を DIS るような記述があるけど、情報戦に勝っても平和は訪れないのはその通りとして、それでも情報戦自体は必要なんじゃないの? 曲がりなりにもこの国は民主主義なわけだし、デマが広く真実と思われてしまうと政策的手当ても不可能になる。

「議論に勝って動機付けに負ける」*1ということは確かにある。「デタラメを粉砕する快感に打ち震えるため」*2に議論しても意味はないだろう。しかし、だからと言ってデタラメを放置しておいていいというわけではないだろう。

かつて宮台氏は、文化人の言論に世間に対して影響力はない、行政を動かして社会の仕組みを変えないと意味はないみたいなことを盛んに言っていたが、それに対して、そんな事言いつつあなたは言論活動を続けているが何故か? と問われたことがある。行政を動かすにはある程度世論作りは必要だから、というのがその答え*3

とは言え、

ただ、僕自身は、世直し志向は強いけど、癒し志向は強くないんです。実は、現状の世の中で癒されてしまう人間が増えれば増えるほど、社会システムを変えるチャンスは失われてしまいます。癒しのメッセージは現行のシステムの補完物になってしまうということです。これは、癒しに照準を合わせている現代の宗教にも当てはまる理屈です。結局、癒しを必要とする原因そのものに切り込むためには、むしろ人々が癒されないほうがいいんですよ。
だから僕はむしろ、不安を増大させようという戦略を取りつづけてきたつもりなんです。
ところが、この戦略が効きすぎると失敗する。不安になった人が、何でもいいから手近なものにすがっていくことになりますから。実際そうやって、テレクラ規制条例と東京都買春条例ができたわけです。あるフェミニズムの集会に出たら、宮台がテレクラ条例と東京都買春条例のA級戦犯だと言われました(笑)。まったく外れてるとは言えないのは、そんな事情があるからなんですね。
宮台真司インタビュー「僕が「サルの縫いぐるみ」を被るまで!!」『別冊宝島381 東大さんがいく!』収録

ただでさえ不安の増大から生まれたバックラッシュをヘタに叩けばますます不安になって急進的な動きを誘発してしまう、という可能性は考えておいたほうがよいのかも。



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*1:宮台真司が90年代の活動を反省してあちこちで言った言葉。

*2: 『週刊 SPA!』1996年11月13日号「激白 女子高生に殺されたい!」にて宮台真司の発言。

*3:確かテレビ朝日異議あり』1997年7月4日放送での発言。