コミットメント

lovelovedog さんの追記:

一応ぼくの立ち位置は「「偽造だ」と言っている人もいるが、徳川元侍従長のテキストを見て(読んで)みないと何ともいえない(可能性は考えてみてもいいけど)」、なのです
日経の記事を検証しないで中国・韓国や全国に情報を流す朝日新聞・共同通信その他と、ネットで検証している人たちについて(愛・蔵太の少し調べて書く日記)

何ともいえないのはその通りなんですが、何ともいえないと言いつつも何かを言ってますよね?

このメモが「徳川義寛侍従長の引退会見記事」であり、メモの中の「私」は「昭和天皇」ではなく「徳川義寛侍従長」の可能性がある(あるいは、少し高い)、ということは示唆しておきたいと思います。

「可能性がある」ことを表明するのも、それを「示唆しておきたい」とも思って実際に公の場で示唆するのも、ある程度は「徳川侍従長の会見メモ説」に肩入れしてないとあり得ない話ですよね。少なくともその説に説得力を感じているからそうするわけで。

僕だったらせめて「徳川侍従長の引退会見」なるものが4月28日に実際あったという話が見えてくるまでは「可能性がある」「(可能性は)少し高い」とまで主張できないけど、lovelovedog さん的には勘なり個人的な経験則なりで「徳川侍従長の会見メモ説」にはある程度見込みがあると思っているんですよね?

そういうふうに肩入れすること自体は全然構わないんですが、lovelovedog さんの悪いところは、正面から「どーなのよ」と問われると、いかにも「自分はいかなる立場にも肩入れしてなくて中立ですよ」的な弁明をするところ。まあ弁明しても「どう見ても肩入れしてます。本当に(ry」って感じなので読者としてはさして困らないのですけど、自覚があるのかな? という意味では心配してしまいます。余計なお世話かもしれませんが。

ちなみに昨日のエントリでメモの真贋について賭けをもちかけようとしたのは(実際にはしなかったけど)、どの立場にどのくらい主体的に肩入れしてるのか金額で表明してもらおうと思ったから。ゼニは嘘つかへんのや!!

あ、これは「もっと客観的・中立的な表記に努めれ」ってことじゃないですよ。それはむしろマズい。ていうかズルい。エロズルい。「私はこういう立場からこう判断するよ」というのを変に隠さない(他人にも自分自身にも)で欲しいということ。

一般に不完全情報下で一定の判断を下すのは人の世の常であり避けられないことですが、不完全な部分を自分の見識で補完する場合はその判断に一定の責任を引き受けなきゃいけません。そういう状況で変に中立性を主張すると責任逃れととられかねないので注意。

このエントリをもって[あとで書く]にしていたこれにかえさせていただきます。「すべてを疑え」で立ち位置の中立性を主張するのは無責任ということ。