石原慎太郎、自殺予告事件を語る

「あんなのは、大人の文章だね。愉快犯っていうか。今の中学生にあんな文章力はない。理路整然としていて。私は(本物とは)違うと思う」

「届けられた方は迷惑千万。放っておくわけにもいかないだろうが。(自殺を)予告した日は、あしたですか。今まで文科省は何をやったのか知らんけど、あれだけの騒ぎになって、(文書を送った)当人は満足して、死なないの? 死ぬの?」親にも問題がある 文科省には、同様の自殺予告手紙が相次いでいるが「自殺なんか、予告して死ぬなって。甘ったれているというか」

「親はなんで(いじめ問題に)関与してこないのかね。まず親が関与すべきじゃないか。私なんか、子供にけんかの仕方を教えましたよ。そしたら効果があって、たちまち相手を倒して番長になっちゃった。そういうことを親が教えればいい」

実際に、長男の伸晃自民党幹事長代理(49)の小学生時代の“いじめエピソード”を挙げた。

 「先生に、私の名前をもじった実にいやらしいあだ名をつけられ、いじめられた。私はそれを聞き、すぐに校長に電話して『僕に劣等感があるか知らんが、もし改めなければ学校に出向いてその先生をぶん殴るからな。あんたの監督責任も問われるぞ』と言ったら、(いじめを)やめさせましたよ」

石原知事自身も、いじめを経験したという。

 「僕だって、転校してきた時にいじめられた記憶があるが、やっぱり自分で戦った方がいいと思う。こらえ性がないだけでなく、ファイティングスピリットがないと、一生どこへ行ってもいじめられるんじゃないの」

 「陰湿なのは、教師がいじめること。これは本当に子供にとって不幸だ。卑しい、貧しい教師がいる。自分の人生の弱み、ひがみを、教えている弱い子供にぶつけている。生徒もいっしょになっていじめてしまう。そういう教師は許せない」

ひどい。そのへんのオッサンがいうのならともかく、行政の長の発言としては。

後半はいい話のようにも見えるが、親に理解がない子、力のない子はどうするのか。女の子には合気道でも教えるのか? しかしイジメという児童虐待は単純な暴力の形を取るとは限らない。また、基本が家庭という持論があるにしても、そこから漏れる部分に対して政治家としてどうするか、というのが全く見えない。何もしなくていいということなのか。

上のニュースのソースは10日の都知事定例会見。動画は都のサイトで見られる(テキスト版はまだ)。開始3分あたりから5分ほどのやりとり。順番は入れ替わっているが(愉快犯云々は後半の発言の後の質問を受けての発言)上の内容で概ね問題ない。

低解像度なのでいまいちわからないが、表情はやや複雑で、見たくない現実から目を背ける人のそれのようにも見えた。

「親が関与すべき」の部分では「親にも自分の告白(? ききとれなかった)ができない家庭はとっても気の毒だとは思うけど」と付け足しているが、気の毒だけか? 7分あたりからフリースクールの活用などについて問われて、あってしかるべき、とは言うのだが、具体的に都としてどうするという話はなく、ここでも本来は親が責任を持つべきということを強調していた。

問題は、第一に学校での虐待事件の発生を未然に防止するという観点が欠落しているようであること。第二に子供/家庭/行政 というウォーターフォールな三階層では家庭に穴があれば子供の問題は行政でケアできなくなるわけで、そこをどうするのかが問題なのだが、親にパッチを当てるのが第一と考えているらしいこと。

しかし、石原氏は外国人犯罪や少年犯罪には厳しい意見を持つ人だと思っていたが、学校での虐待では加害者にはずいぶんとお優しいようで萎えた。

教師のイジメはけしからんとは言ってても、どうも自分が馬鹿にされているのが気にくわなかっただけのようにも見える。「私の名前をもじった実にいやらしいあだ名」については「言うと悔しいから言わないけど」と言っていたが、やっぱりチン太郎とかそういうのかな。