エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤』

食品安全情報blogで紹介されていた本。帰省の電車の中で読んだのだけど、むちゃくちゃ面白かったので紹介。

完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語

完璧な赤―「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語

原題は A Perfect Red. 著者が同名のサイトを公開しています。

かなり奇抜な装丁の本ですが(日本版だけ?)、中身は真っ当なノンフィクションで、「完璧な赤」を表現できるただ一つの染料だったコチニールの歴史を14世紀から現代まで、ドラマチックに描いたものです。

化学染料が発明される19世紀まで、布を真紅に染められる染料はごく限られており、真っ赤な衣類は富と権力の象徴でした。14世紀にスペインが征服したメキシコからヨーロッパに持ち込まれたコチニールは最高級の赤色を高効率で染めることができる理想の赤色染料としてもてはやされました。コチニールで染められた繊維製品は貴族や羽振りのいい商人たちに高い需要がありましたが、肝腎のコチニールはスペイン領のメキシコの一部でしか生産されずスペインが独占していたこともあり、コチニールは当時重量当たりの価格では最も高価な産品だったようです。

『完璧な赤』は、このコチニールの生産や取引に関する諸制度の歴史、コチニールの獲得を巡る様々な事件、時代毎の色の流行の事情など、緻密でかつスケールの大きな歴史物語を時間軸に沿って手際よく密度の高い文章で描いています。情報量の多さにも関わらずテンポ良く無駄のない筋の通った文章で、とても読みやすい本になっています。大量に出てくる固有名詞に戸惑うこともほとんどありませんでした。

様々なエピソードの中で興味深かったのはコチニールの生産にまつわるもの。コチニールの原料となるコチニールカイガラムシはかなりデリケートな生き物で飼育には相当の手間暇と心配りが必要です。そのため植民地でありがちな奴隷労働者による大量生産は不可能でした。ノウハウがなく、モチベーションも低い労働者では扱いきれないのです。コチニールの生産拡大の鍵になったのは伝統的な生産者への信用貸付制度でした。

かわりにコチニールの生産量を何よりも押し上げたのは、有利な取引条件である。スペイン人商人たちは法律や生産ノルマといった鞭で先住民を脅すのではなく、信用貸付という飴をちらつかせた――高度な市場経済に古くからなじんでいる先住民たちは快く受け入れた。

『完璧な赤』 p134-135

コチニール生産者に現金を貸し付けて、コチニールの現物で返済を受けるというもの。借りた現金で飼育するコチニールカイガラムシ(と、餌になるウチワサボテンを)増やすわけです。

コチニールの信用貸付制度を利用していた先住民は、自給自足農業の副業として、自分の土地か村が所有する土地でコチニールを飼育している場合が多かった。こうしたやり方なら、コチニールの飼育は一家が必要とするいくばくかの現金収入を得ることのできる割のいい仕事だった。スペイン人に雇われて賃金を得る仕事とはちがい、村や家族から離れたり、自分たちを征服した者の下で働くという不名誉を感じたりすることもない。コチニールの飼育なら、故郷で子供たちや家族、親戚とともに働くことができた。

一六世紀半ばには、スペインによる支配と旧世界から持ち込まれた病気という二重の打撃により、先住民の共同体の多くが崩壊しつつあった。文化そのものが消えかかっていた。しかし、コチニールを飼育していた地域――一族が離れ離れにならずに生計を立てることができた地域――では、そうした重圧に耐えうる驚異的な力を持っていた。コチニールを育てていた村々では、言語や伝統、文化を何百年にもわたって守りつづけることができた。コチニールの主産地であるオアハカが、今日でもメキシコ随一の多様な文化や言語を誇る州なのはそのためだ。

『完璧な赤』 p136

追記: 食品用としてのコチニール

何度か取り上げましたが*1コチニールは食品用の着色料としても使用されています。『完璧な赤』では19世紀頃までコチニールが薬用に使われていたこと(17世紀には鬱病に効くとされていた)、70年代に赤色2号の発ガン性が問題になって天然着色料としてコチニールの需要が増えたけど21世紀になってから「特定の人にアレルギー反応を引き起こす」ことが判明して需要が低下しているという話が載っていました。

なお菜食主義者にとってはコチニールは動物由来ということでNGらしいです。。。



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