受精卵選別の倫理について


「異常を選ぶ」と言えば聞こえはいい(?)が「正常なら殺す」ということなのであるから、殺すということが「理由があってしかたがなく」やる場合のみ許されるものだとするなら、親の側に「異常」がない子は育てるのが困難、というような理由がないと正当化できないのでは。「異常なら殺して正常を選ぶ」の場合は「異常」がある子は育てるのが困難、という状況が納得しやすいので抵抗が少ないのだろう。

「自分の子どもには自分と同じアイデンティティを持って欲しい」というのは生活の豊かさを求めるポジティブな気持ちとしては認めうるけど、そのために「同じアイデンティティを持たない子を殺す」というのはあり得ないと思う。

ここでは受精卵の命は人間の命と同じ価値があるものとして考えたが、そうでないと考えるなら、殺すには理由が必要という理屈は通じなくなる。その場合は自由にすればいいとも思うのだが、割り切れなさは残る。でもその割り切れなさって実は差別意識のような気もしないでもなく。。。

ちなみに受精卵選別の話なので、障害を持って生まれた子供が可哀想じゃないか、というのは当たらないと思う。選別されて生まれる障害を持たない子は別の子供で、そちらを選択する時は可哀想な方の子は生まれないのだから、「生まれた子供が可哀想」=「障害を持つ子は生まれてこないほうがいい」って話になってしまうので。

追記

もっとも、人工授精で受精卵いっぱい作っておいてその中から選んで戻すという話だと、どっちみち殺される受精卵が出てくるわけで、殺す理由とか言っても仕方がないのかな。一番の理由は「余るから」だろうし。。。