浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』

とりあえず1章読了。面白い。

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

犯罪不安社会 誰もが「不審者」? (光文社新書)

1章は浜井氏の担当箇所。体感治安の悪化が見られる中、現実には治安は悪化していないこと、不安の増大が警察の取り組み方(守備範囲の拡大)、報道のされ方(大きな事件が起こると類似事件を掘り起こす)、被害者の意識の高まり(泣き寝入りはしない)、という二次的な原因に基づくということを統計を読み解いて論証している。

基本的に頷ける主張だし、是非多くの人に読んで欲しい内容。なのだが、敢えて二点ひっかかるところを指摘。

まず一点。犯罪発生件数の増加は暗数が表面化しただけで治安は悪化していない、というのは体感治安の悪化が幻想だというニュアンスにとれる(「治安悪化神話」という言葉も使っている)が、むしろ今までの我々の感覚が暗数が見えないことによる幻想だとも言えるのではないか。

治安が悪化したから、ではなく、今まで見逃してきたことへの罪滅ぼし的な意味で犯罪問題を考える、という方向で事態を捉えられるようになるとよいと思う。そういう方向ならパニック的にならずに済むと思うし、被害者の激情(それは正当なものだが)から距離を置いて冷静に反省的に考えられると思う。

もう一点。浜井氏は、危険運転致死罪について事故防止効果のない厳罰化という評価をしているようだが、事故防止のためではなく、罪と罰のバランスがとれてないのを正すという意味で支持されている側面があるのではないか。

個人的には車を運転すること自体、一つ間違えば他人を殺してしまうような道具を日常生活で使用するという意味で、かなり罪深い行為だと思うが、必要悪でありお互い様であるということから、罪は低めに設定されているのだと理解していて、その自覚を失ったような運転をする人は相応の罰を受けるべきだと思う。もっとも、公務員の懲戒処分が厳しくなるのは(特に懲戒免職にするのは)世間に対するご機嫌取りというかトカゲの尻尾切りみたいでいい気はしないし、副作用も懸念される。が、

厳罰化に犯罪抑止効果のないことは、最先端の犯罪学では常識になりつつある。
厳罰化によって職や家族を失い、ホームレスや犯罪者になる危険性のほうがずっと大きいのである。社会にとって、かえってリスクが高まる結果となるのだ。
『犯罪不安社会』p73

これが事実だとしても*1、それは犯罪者(出所者、保護観察中の者)を受け入れる(あるいは拒絶する)社会環境の問題であり、それを根拠に罪と罰のバランスをいじるのは筋違いだと思う。同じ事は過剰な厳罰化で犯罪を抑止しようという議論にも言えるので、上で引用した部分は「それを言うなら、」的なレトリックなのかもしれないが。

ちなみに「最先端の犯罪学では常識になりつつある」みたいな煽りは虚仮威し的に受け取られがちなので気を付けたほうがいいと思う。宮台真司の「社会システム論によると」の乱発も笑いを誘う結果になっていたし。



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*1:「ホームレスや犯罪者になる危険性のほうがずっと大きい」の根拠は1章では具体的には語られていない。4章「厳罰化がつくり出した刑務所の現実」を読むとわかるのかも。