復讐について

Apeman さんが、復讐を煽る呉智英を DIS ってたわけだけど、「いじめ=虐待」の話は深く考えれば考えるほど精神的に辛くなるので、まあ簡単に。

とりあえず思ったのは「自分の手を汚さずに煽るだけは煽るわけね」、と。どうせなら「義によって助太刀いたす」とまで言ってみろよ、と。「少年法が君たちを守ってくれるから」といって復讐を煽っておいてあとは知らんぷりなら、「少年法があるから」と高をくくって犯罪を犯す少年とどこが違うの? 復讐しろ、ってのは「オレはお前のためになにかしてやるつもりはないから、自分でなんとかしろ」ってことですか?
どうしようかなぁ… (Apes! Not Monkeys!)

まず思ったのは「死ぬな」とか「逃げろ」とか「ケーキを食べればいいのに」みたいなことを言ってる人の多くは手どころか口も汚さないわけで五十歩百歩じゃないかということ。もう一つ思ったのは理不尽な扱いを受けて追いつめられた人に対してただ正しい事を言えばいいというものではないということ。*1もちろんそういうのは公の場で言うことが適切とも思わないけれど、既に「死ぬな」とか「逃げろ」一色になりつつあったメディアの状況ではそれを中和するようなメッセージは絶対必要だと思った。

萩尾望都残酷な神が支配する』のジェルミとオーソン先生の対話を下敷きに何か書こうと思ったけど、まとまらない。オーソン先生はジェルミの殺人を止めるために敢えて殺人計画を立てようともちかけるのだけど、これは結局うやむやになってしまったし、そもそもジェルミがグレッグを殺さなかったらジェルミはもっと幸せになれたのかと言えば甚だ疑問でもあり。

*1:政策的には「逃げる」を選択できる環境作りを目指すのは絶対に正しい。しかし不特定の被害者に対するメッセージとして「逃げろ」を言うのはダメだと思う。