先日の武田徹を DIS った記事に関してツッコミが。
なるほど。まあ、文章の75%が「不適切な例示」だと見るか、25%の「主旨」が意図した通りの内容になっていない(偶然穏当な内容になってしまった)と見るべきかは微妙だけど、「主旨」の方を掘り下げたほうが面白いといえばそうかもしれない。
というわけで、文章の主旨は2ページ目後半であり、全体の3/4近くを「不適切な例示」に費やしている、と見る場合あの記事はどう読めるかを考えてみる。
「不適切」というのは単に不謹慎ということだけではなくて、後半1/4の「主旨」にも反するんじゃないかということ。「レッドソックスとCIAの関係」の話は取材目的とは関係なく普通に公開されている断片的な情報を組み合わせると新事実が浮かび上がってくる、という話で、プライバシーを侵害しなくても秘密を暴くことが出来る、という意味で面白い話のはずだ。Antinny の話とは全く逆の話。
そういう意味で例に挙げるなら『ヤバい経済学』にあった「相撲の星取表を統計的に分析すると八百長の存在が浮かび上がる」みたいな、そういう話が適切だったのでないか。
- 作者: スティーヴン・レヴィット,スティーヴン・ダブナー,望月衛
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公の場で悪事をはたらく必然として、その痕跡は公の場に残ってしまう、関係者のプライバシーを漁ったり告白を迫ったりしなくても、お前は既に白状している、というわけだ。
なのに武田氏は最後の最後でも「ハードディスクジャーナリズム」とか言っていてわけわからん。「ネット」も「ハードディスク」もジャーナリズムの「あり方」とは全く関係ない。敢えて言うならネットはパブリックな情報を飛躍的に増大させたかもしれないが、その流れは Antinny による不当な情報漏洩とは全く別の話だ。
ネットによって公開情報が増大したのは、公開してもいい、公開したい、公開することで利益がある、しかし効率的に公開する手段がない、という理由で公開されてこなかった情報に対して、ネットがその手段を提供したということが本質だ。決して公開したくない情報が漏洩しやすくなったからではない。