なぜ黒人は「知能」が低いか

かつてDNAの二重螺旋構造の発見でノーベル賞をとったワトソン博士が、黒人は知能で白人に劣るという主旨の発言をして問題になっている。

何かの言葉のアヤなのかと思ったらどうもガチで差別的かつトンデモな事を言っているようだ。ワトソンの発言についてはここをクリック

Watson氏は、「アフリカの可能性について根本的に悲観的だ」、というのも、「われわれの社会政策は、彼らの知能がわれわれと同じだということに基づいている――だが、実験結果はすべて、それを肯定していない」からだと述べている。
(中略)
「進化において地理的に隔離されていた人々の知的能力が、(隔離されなかった場合と)同じように発達したはずだと考えられる確固たる理由はない。同等な理性を人類にとって普遍的な遺産としたいと思う気持ちだけでは、それを実現するには不十分だろう」
DNAらせん構造の著名生物学者、「黒人は遺伝子的に劣る」と発言(WIRED VISION)

社会政策に影響するほどの知能の差が遺伝的に進化論的に決定付けられているという。いったいどんな実験を根拠にしているのかわからないが、これまでの科学(社会科学を含む)による蓄積を無視、もしくは全否定する発言で、トンデモの類だとしか思えない。

報道されている発言は断片的であり、彼の新刊 "Avoid Boring People: Lessons from a Life in Science" を読まないと真意がわからない可能性はあるのだが、報道に刺激されて出てくるようなありがちな論点へのありがちなコメントをつけておく。後にワトソンの主張を検証するにあたって、踏まえておかないといけない点を確認するという意味でも。

文明と人種

まず「知能」というのは複雑な概念で、測定したり比較したりというのは困難だ。単純な計算速度や記憶能力、パターン認識能力などについては心理学実験での測定は可能だし、訓練では越えられない個人差があるのは確かで、そこに遺伝子が関わっているのはほぼ間違いないだろう。しかし社会的な価値を生み出す能力の知的な側面を「知能」と呼ぶなら、単純な頭の回転のよさは決定的な要素ではない。

また、集団同士の「知能」を比較する場合は、個人間で見られるような大きな差は相殺されてしまう。どんな集団にもデキる奴もいればダメな奴もいるのだ。個人の能力差に応じて待遇を変えるような社会政策に意味があるからといって、人種のようなくくりで待遇を変えることに意味があるとは限らない。個人差のイメージの延長で集団を差別することに正当性を感じている人は考え直したほうがよい。

しかし、そんな細かい比較をしなくても歴史がその差を物語っているのではないかと言う人もいるだろう。歴史上最も文明を発展させたのはヨーロッパ人だと。優れた科学技術や社会制度を生みだし、他の文明を圧倒するまでに発展させたのはヨーロッパ人だと。アジア人は一時はヨーロッパに匹敵する文明を生みだしたが自力では近代化できなかったし、(サハラ以南の)アフリカ人に至ってはヨーロッパ人の奴隷になるしかなかったのだと。

確かにそれぞれの文明を築いた人たちの顔かたちは目に見えて違う。人種の概念が曖昧といっても、このくらい大きなスケールで見ればあまり関係ない。このスケールで見れば文明の優劣とはっきり相関するのは人種の差しかないじゃないかと。

しかし足もとを見るべきだ。それぞれの人種を「ヨーロッパ人」「アジア人」「アフリカ人」と呼んだように、これらの人々はそもそも住んでいた場所が違うのだ。つまり文明を生みだし発展させるにあたって地理的条件が全く異なっていたのだ。

ジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』で、地理的な初期条件の違いで世界の歴史を、つまり文明の発展に差ができた理由を説明できると主張している。その主張の要点をざっくりとまとめると、以下のようになる。

まずそれぞれの土地に元々いた動植物の種類の違いが農業や畜産業の発達を決定付け、食料の生産性が社会の規模と社会制度の発展を決定付けた。また、大陸の形が規模の拡大を制限した。つまり東西に広がる大陸に住んでいたヨーロッパ人とアジア人は同じ農作物や家畜を持ったまま領土を広げていくことが可能で、異なる文明間の交流も生まれたが、南北に広がる大陸に住んでいたアフリカ人(とアメリカ先住民)にはそれができなかった。何千年もの間についた差は大陸を越えた文明の衝突において決定的に・破壊的に作用してヨーロッパ文明に勝利をもたらした…*1

要するに文明が誕生したばかりの段階では知識と技術の蓄積を可能にするのに地理的な条件が決定的な役割を果たしたのだ。地理的な条件が経済的な条件を制約しその後の文明の発展を決定付けたのだ。科学技術の発達で地理的な条件をものともせずに活動できる現代人にはピンとこないかもしれないが。

アフリカに関して言えばアフリカで誕生した人類が他の大陸に進出してから文明が誕生するまで180万年経っていて、その間の進化の過程で発生した遺伝的な差異が脳機能にも及ぶということはありえない話ではない。しかし、仮に1万年前のヨーロッパ人とアフリカ人の遺伝子が逆だったらヨーロッパ人がアフリカ人の奴隷になっていたのだろうか? 現代のヨーロッパ人ですら思いつかないような方法で生産性の高い食料生産を、アフリカの大地で、科学技術の誕生を待たずに実現できたと考えるのは無理がある。

黒人の身体能力

黒人の身体能力の優位は認めるのに、話が知的能力の差異に及ぶととたんに反発するのはおかしいじゃないかという人もいる。実際のところ黒人差別に敏感なアメリカでは身体能力の差異に言及することすら細心の注意を払わないと問題になる。人種間の差異を遺伝的に説明するのはタブーだ。

そのタブーに挑戦しつつそのあたりをまとめたのがジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか』だ。邦題には「その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る」という副題は付いているがそれでも本書の大事な部分が曖昧になっている。原題は "Taboo:why black athletes dominate sports and why we are afraid to talk about it" だ。が、とりあえず「黒人アスリートはなぜ強いのか」とうことについて。

陸上競技の世界ではアフリカ系の血統のアスリートが強いことはよく知られている。世界記録の上位をほぼ独占している状況だ。短距離では西アフリカ系、中・長距離ではケニヤ人が強い。

経済格差や差別などの社会的要因が黒人を競技に向かわせ選手層の厚みの差になるなどの環境要因はあるにしても、100m走のトップ100を西アフリカ系がほぼ独占、800mでトップ100の半分が、それ以上の長距離レースではどの競技でも30%以上をケニヤ人が占める*2というのは偏り過ぎだ。しかも、単に黒人というくくりではなく、遺伝的な出身地がより限定されている。特に長距離競技でのケニヤ人の偏りぶりは異常で、トップレベルのランナーがケニヤの中でも特定の地域の出身者に集中している。

競技結果の統計ではサンプルに偏りがあり環境要因を排除できないのだが、生理学的な研究でも、黒人と白人の間には体格や筋肉の質などの平均値に差があることがわかっているという。例えば瞬発力に関わる速筋比率の違いには差がある。グラフにするとこうだ。

速筋比率と身体能力

西アフリカ系黒人は平均して速筋繊維が67.5%, フランス系カナダ人は59%。分布曲線を見ると、上端に位置する者は黒人の方が多い。
ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?』 p324

平均値としては10ポイント弱の違いで、適当に白人と黒人を選んで比較する分には黒人が勝ったり白人が勝ったりでそれほどの差にはならないのだろうが、グラフの右端のレベルの高い部分だけから選んで比較すれば圧倒的な差になる。

エンタイン自身は触れていないが、このグラフはなかなか示唆的だ。確かに差はあるが、わずかな差を極端な形に拡大するのは「世界記録を競うようなハイレベルな競争」という舞台設定そのものなのだ。

参考文献

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

実は下巻の方は途中まで読んでそのままどこかに紛れて全部読んでない。ナショナルジオグラフィック社が出している DVD は全部見た。

銃・病原菌・鉄

銃・病原菌・鉄

DVD はダイヤモンドの議論の主要な論点がわかりやすく展開されていて、彼の主張をざっくりと理解するには便利。しかし値段のわりにはショボいというか、映像の使い回しも多く、映像作品としての満足度は微妙。三枚組で156分だからどんだけ画質いいのかと思ったらそれほどでもない。学校の授業などで使いやすいように三枚組に分けたのだろうか? 一枚毎に前回のおさらいみたいなのが入っていて、通して見るとかなりくどい。自分で見る用に個人で買うのはあまりおすすめしない。

黒人アスリートはなぜ強いのか?―その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る

黒人アスリートはなぜ強いのか?―その身体の秘密と苦闘の歴史に迫る

本文でも少し触れたように、スポーツ科学の本というよりは人種差別の歴史をスポーツの世界から描いたような本になっている。著者のスタンスは以下のようなものだ。

私の意図は、現在くり広げられている遺伝学革命という文脈において、人間の生物学的な多様性にまつわる疑問を解明し、まかり通っている神話に反駁することだった。
ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?』 p15

偏った環境要因論が政治的に押しつけられることで、純粋に生物学的な研究やそれらの研究に対する理解が阻害されかねない事を危惧して本書を書いたのだという。また多様性から目をそらすことは人間の多様性を尊重する価値観とも矛盾するとも。

かなりアグレッシブな立ち位置だが、筆の進め方は慎重。人類の進化論的な歴史、人種主義や優生学の歴史、黒人スポーツの歴史などにページの大半を割いている。このあたりは日本人読者にとっては「なぜ欧米人にとって人種間の差異に触れるのがタブーなのか」を理解するのに役立つだろう。

本書は人種間の知性の差異についても触れている。過去にその種のテーマの研究が人種主義の隠れ蓑になっていたこと、今でも一部にそのような研究があること、知能の概念の複雑さなど。エンタイン自身は、スポーツの世界で見られる差異を知能の差異に結びつけることはできないとして、知能の差異については判断を示していない。

追記: タイトルが変な件

タイトルと内容がずれてるのは、書き始めた時は「知能」の定義についてごにょごにょ書こうと思ってたのが、書いてるうちに『銃・病原菌・鉄』ネタを軸にした内容に方向転換してしまって、あとでタイトル直すの忘れてた、という理由です。。。

釣りみたいになってしまってスマンかった。


*1:なお、発達した文明がもたらした武器である銃・病原菌・鉄のうち、病原菌は畜産業の副産物であり人間が意識して作り出したものではない。

*2:グラフが載っていたが出典が不明確。原書が書かれた2000年当時の記録を元に集計したもの?