Winny 事件における NHK 記者の弁護妨害の件

ブクマでつぶやいてからまわりを見るとどうも人とは違うことを考えていたようで、これだと100文字では僕が何を考えてるか伝わらないだろうなと思い、少し念入りに書いてみることにした。

Winny の作者であり、Winny 事件の被告である金子氏に公判中 NHK の記者が「告白」を迫る手紙を送ったことが Winny 事件の弁護団の一人壇弁護士のブログで明らかにされた。

手紙の内容も全文ではないと思われるがかなり詳細に引用されている。弁護団を批判し有罪の見通しを語った上で、弁護方針のために語れない本音をメディアで語ればむしろ世間から理解がえられ正直に話したことが評価されて裁判でも減刑が望めるだろう、だから「神」の本音をNHKで語って欲しい、といったような内容だ。

壇弁護士はこの取材を露骨な弁護妨害と批判し、記者の態度を「これでは、デスノートの「魅上」並の狂気ではないか」と批判している。

この記事は大きな反響を呼び、NHK は謝罪、報道各紙もそれを記事にした。

さて、僕が最初思ったのはこれって「弁護妨害」なのかなーということ。弁護を妨害しかねない行為には違いないが、ニュースなどで話題になる弁護妨害といえば事件を担当する捜査官が被疑者の弁護権を侵害するという話だ。確かに今回 NHK 記者がやった行為は弁護権侵害の際に使われる手口の一つによく似ている。

しかし捜査官と被疑者の間にある権力関係に相当するものが、記者と金子氏の間にはない。メディアと容疑者ということでまったくないとは言えないし、NHK の記者がこれをやったということについては僕も嫌悪感をぬぐえない。しかし、もしこれがフリーのジャーナリストがやったことなら僕はそれほどには思わないであろう、とも思った。うまく言えないのだがそういう感覚がある。

多くの人はこの件をメディアの横暴とか被告人の権利の侵害という観点で批判しているようだ。小倉弁護士はその両面から捜査機関の下請け機関に成り下がった記者という記事を書いている。Apeman (id:apesnotmonkeys)さんも同様の問題意識から恭順戦略の強要という記事を書いている。

二人の論評はもっともだとも思うのだが、どうしても違和感をぬぐえない。というのは、僕は(そしておそらく問題の記者も)金子氏を単なる事件の容疑者とは思っていないからだ。一言で言えば良くも悪くも日本を(あるいは世界を)変えた人物だと思っている。

壇弁護士は記者の手紙を「デスノートの「魅上」並の狂気」と評している。つまり、金子氏を社会を変革する「神」と崇め、「神」が人間として裁かれるのが我慢ならない、そんな思想だと言うのだ。確かに記者の手紙を文字通り読めばそう読める。

一方で Apeman さんは「取材予定者に悪感情をもっていることを明らかにし」と評している。つまり Apeman さんは金子氏を「神」とする記者の言葉を真に受けず、記者は「魅上」などではなく容疑者をおだてて告白させたいだけだと解釈したのだろう。

記者の本心を知るすべはないが、僕には、記者は半ば本気であれを書いたのではないかと思える。壇弁護士によれば「しかも、この記者は、地裁判決後の記者会見で、何食わぬ顔で最前列に構えていた」というのだから熱心であったには違いない。

まあ、僕や記者がどう思おうと、事実として金子氏は技術で日本を動かした人物だ。しかもその技術は学術の世界でもビジネスの世界でもなくアンダーグラウンドの世界で生まれ育ったものだ。これは尋常なことではない。*1

一人のジャーナリストがそのような人物として金子氏に興味を持ち、なぜ Winny を作ったのか、そして今どう思っているのか、これからどうしたいのか、といったことを知りたいと思っても不思議はない。そういったことを記録に残すのは公共の利益にかなうことでもある。

しかしその人物が、チンケな(と言っては失礼だが)著作権法違反事件の、その幇助の罪に問われる。やっかいなことに、強引とも思われる論理で立件されたことで、チンケな事件の裁判は全ての技術者の未来を決定付けかねない大事になってしまった。こうなるともうこの事件は事件当事者だけの問題ではなくなってしまい、金子氏は自分の身の振り方だけを考えればよいという立場ではなくなってしまった。

真実がどうであろうと状況が語りうることを大きく制限している以上、普通に金子氏にインタビューをしても出てくる言葉は予定調和にしかならないだろう。仮に有罪になれば法を越えた正義について彼が語ることもありえなくはないが、彼を支えた弁護団や支援者の事を考えれば金子氏がそうする見込みは少なそうだ。逆に無罪になったとしたら法廷で語ったことが今後も真実として語られるであろう。

それでいいのか? という思いがジャーナリストの心に芽生えても不思議はない。自分の立場を利用してあらゆる方法で金子氏にゆさぶりをかけて本音を引き出したい、と思うのも、職業倫理としてどうかということは別にして、不思議はない。それは「犯罪者に反省をせまる世間」の論理とも「有罪を推定する捜査機関」の論理とも違う、別の思いだ。

もちろん金子氏がどんな人物であれ、金子氏には人権があり、彼は語りたいときに語りたいことを語ればいいのであり、語りたくない事は墓場の下まで持って行けばよいのだ、とも言える。しかし一方で、時代を変えられた側としての私たちには「どうしてこうなったのか」ということを知る権利はあるだろう。

もちろん、金子氏の未来を奪ってまで、というわけにはいかない。しかし地裁判決で罰金刑、検察の求刑は懲役1年という程度の事件で、腫れ物に触るような配慮が必要なのかとも僕は思う。そういうわけで記者に同情的なコメントを僕は書いた。


*1:単純にP2P技術のことを言っているのではない。誤解のないように。