いわゆる「望遠圧縮効果」と世界のリアリティ

1月7日に首都圏に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発出され街の人手の混み具合に注目が集まる中、メディアで報道された街の雑踏の写真が望遠レンズを使ったいわゆる「望遠圧縮効果」を使って混み具合を誇張した印象操作ではないかとの声が上がっている。

同様の声は4月の緊急事態宣言の際にもあったが、「懲りないマスコミ」と見られたせいか、前回以上に声が大きくなりメディアも無視できない状況になったようで、毎日新聞 Web 版にこんな記事が掲載された。

有料記事のため全文は読めていないが、広角レンズで撮るとパースで歪むという釈明をしているようだ。これに対して「標準レンズで撮ればいいじゃないか」との再反論の声も上がっている。

「望遠圧縮効果」とは何か

そもそも「望遠圧縮効果」とは何だろうか。「望遠レンズを使った時に生ずる遠近感の消失で離れた物同士が近づいているように見える現象」と説明される事が多いが、これはやや語弊がある。遠近感の消失はレンズの焦点距離とは無関係に撮影距離で決まるからだ。

例として視線方向に 1m 離れて並んだ同じ高さの2本の杭を撮影する場合を考える。

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レンズの焦点距離f、レンズの主点から2本の杭の手前の方までの距離(撮影距離)を d、杭の高さを h、カメラの像面上での手前の杭の像の高さを y、奥の杭の像の高さを y' とすると、遠近感が強調されるほど二つの杭の像の高さの比 \frac{y'}{y} は小さくなり(奥の杭が手前に比べてより小さく写る)、1.0 に近づくにつれて遠近感は失われていくことになる(奥の杭が手前とほぼ同じ大きさに写る)。

比例式を解くと二つの杭の像の高さの比 \frac{y'}{y}\frac{d}{d+1} である。焦点距離 f と杭の高さ h は比例式を解く過程で消えてしまい、撮影距離 d だけに依存する。

縦軸に杭の像の高さの比、横軸に撮影距離をとったグラフは以下のようになる。

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カメラの像面に写る像には、撮影距離 1m と 10m で以下のような差が生じる。

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遠近感が撮影距離だけに依存することから「望遠レンズの圧縮効果などない」という言い方をする人もいる。

ただ、そこまで言うとまた語弊もあると思う。というのは、望遠撮影あるいはトリミングして拡大した写真を見る人は、それを実際よりも近い距離から撮ったものと錯覚しがちだからだ。その結果、近い距離での遠近感から逆算して奥行きを推定し、空間を実際より圧縮した形で認知する(錯覚する)ことになるだろう。

この錯覚を指して「圧縮効果」と呼ぶなら、この効果はレンズの焦点距離(画角換算の焦点距離)に依存するとも言えるので「望遠圧縮効果」という言葉も間違いではないと思う。

過去の「圧縮」疑惑について

雑踏の報道写真で「望遠圧縮効果」が問題になったのはおそらく4月のコロナ報道が初めてではないかと思う。しかし雑踏以外の報道写真で「望遠圧縮効果」が問題になったことは過去にある。上でリンクした togetter のまとめでも言及されている東京新聞の2017年8月23日の記事「米軍ヘリ、ベイブリッジに低空接近 市民団体が撮影 真横飛行「危険だ」」の写真がそれだ。

米軍ヘリとベイブリッジが「数十メートルの近さ」まで接近したという市民団体メンバーの証言を含む報道で、証言者がベイブリッジから約 3km 離れた遠方から撮った写真を掲載したというもの。

記事に集まった批判と記事内容の検証についてはバズフィードの以下の記事が詳しい。

この件については撮影者が「望遠圧縮効果」で印象操作したという話ではなく、ベイブリッジとヘリコプターのスケール感を見誤って接近したと誤認したというのが実際のところだと思われる。「望遠圧縮効果」を実際に計算すると、さほど「圧縮」されていないことがわかる。

検証結果ではヘリコプターまでの距離が約2330m、ベイブリッジまでの距離は約3300mで、ベイブリッジがヘリコプターより1.4倍離れている。遠近感(それぞれの位置に置いた同じ大きさの物体の見かけの大きさの比)は \frac{2330}{3300} = 0.71 で、そこまで「圧縮」されているわけではない。これがヘリコプターとベイブリッジではなく2機のヘリコプターだったとしたら「数十メートルの近さ」などと誤認しなかったであろう。*1

撮影者の所属する市民団体リムピース在日米軍基地の監視などを行っている団体で、ベイブリッジから約 2km 離れたところにある米軍基地「横浜ノース・ドック」の監視を継続的に行っていて、以前から臨港パーク付近から出入りする艦船を撮影している*2

2017年8月3日の問題の写真以前の写真を一通りチェックしたが*3艦船のベイブリッジ下通過は度々報告しているものの、ベイブリッジ方面へのヘリ飛行の報告は8月3日が初めてのようである。そもそもヘリコプターの飛行の報告自体が稀。見慣れない風景であることと、日頃から米軍機の危険性を訴えていることからくる先入観が誤認を誘発したのではないか。トリック写真を撮るために意図的にこのアングルを狙った線は薄いと思う。

コロナ報道での「圧縮」写真の何が問題か

というわけで、米軍ヘリの件は実際には「望遠圧縮効果」とは関係のない話だった。話を雑踏の写真の話に戻そう。

Twitter では望遠レンズで雑踏を撮るカメラマンの事を「圧縮マン」などと揶揄する声も聞かれるが、一体何が問題なのだろう。雑踏を望遠で「圧縮」して撮る技法自体は昔からあるもので、コロナ報道以前にも同様の写真がメディアで広く使われてきたはずだ。今までそれが批判されることはなかったのに何故今なのか。

コロナ報道での雑踏の写真は街の人出があまり減ってないという文脈で使用されることが多かった。しかし、撮影地(品川駅自由通路等)を実際に歩いた人からすると「こんなに混んでいない」「捏造ではないか」ということになる。

メディア側には社会に警鐘を鳴らすという目的があり、速報性をめぐっての競争もあるため、目先の危険を誇張するインセンティブがある。街の混み具合を過少に表現して市民の危機感が薄れるよりは、過大に表現して危機感を煽る方がメディアの目的にかなっている。

一方で、外出自粛は多くの市民の QOL を下げるし、客商売をやっている事業者にとっては死活問題でもある。単純にマージンを取って過剰に自粛するのが安全というわけにはいかないのだ。感染拡大を避けたい点ではメディアと利害は一致しているが、それでも自粛は最低限にしたいというのが市民の立場だ。

コロナ禍における街の混み具合という情報に関してはこういった微妙なトレードオフが求められるため、過少見積もりも過大見積もりも許されず相当高い精度が求められる状況にある。雑踏の写真が基本的にイメージ映像的な扱いで済んでいた今までとは違うのだ。

望遠レンズでの雑踏の切り取りは元々日常的に行われており、今回の写真が意図的な「印象操作」「捏造」とまでは言い切れないが、「望遠圧縮効果」で遠近感を失った写真はそうとわかって見てもそこから現実の混雑度を把握することは困難になる。求められる情報の精度に対して表現技法の選択が不適切だったことは間違いない。

標準レンズで撮ればよかったのか?

では、一部の人が訴えるように標準レンズ*4 で撮れば求められる精度で雑踏の混雑度を表現できるのだろうか。一般に標準レンズで撮れば肉眼で見た印象に近い画角と遠近感が表現できるとされている。

しかし「肉眼で見た印象」が本当に私たちのリアリティだろうか。実際には私たちの感じる世界のイメージのかなりの部分が既にメディアの視聴体験によって「肉眼で見た印象」から離れたものになってはいないだろうか。

例として「月の大きさ」について考えてみよう。以下はアニメ『恋する小惑星』第2話で主人公が温泉から満月を眺めるシーンである。

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これを見て「月が妙に小さい」と思った人が多いのではないだろうか?

実は『恋する小惑星』は高校の天文部*5の部員たちの青春を描いた作品で、天体や天文機材の作画が極めてリアルであることから天文ファンの間でも評価が高いアニメである。このシーンでも月の大きさが標準レンズで撮った時の大きさとほぼ同じ大きさ*6 で作画されている。実際に標準レンズ*7 で撮影した月と比べてほしい。

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これはどういうことだろう。標準レンズで撮った写真ならリアルに見えるはずではなかったのか。なぜ「妙に小さい」という印象が生じたのだろう。

実はほとんどのフィクション作品では月が実際より大きく描かれている。正確に言うと主題となる人物や風景のパースとは不釣り合いに大きく描かれる、もしくは極めて遠距離から超望遠レンズで撮ったかのように(つまり「望遠圧縮効果」を利用したかのように)描かれる。

アニメはもちろん実写でも背景に望遠で撮影した月の写真を合成することが多い。合成を使わないドキュメンタリー作品などでもイメージ映像として月を写す場合はそこだけ望遠撮影したカットが使われることがままある。

つまり、私たちの「背景に月がある風景」のリアリティはメディア体験によって歪められている可能性があるのだ。もし天変地異が起きて月と地球の間の距離が半分になったとして、それを報道するのに標準レンズで撮ったノートリミングの写真を掲載しても、天文ファン以外は誰も異変に気付かない可能性すらある。

雑踏の写真の話に戻ろう。雑踏の写真でもメディアのイメージ映像等では「望遠圧縮効果」を使った表現技法がよく使われている。たとえばストックフォトの Adobe Stock を「雑踏」で検索すると「圧縮」っぽい写真が結構な頻度でヒットする。そういう写真に慣らされた人は標準レンズで撮った雑踏の写真を見て「意外と密じゃない」と思ってしまわないだろうか。

ある時点で撮影した一枚の写真で量的なものを表現しようとすると、比較の基準は見る人の「普通はこのくらい」という相場感に左右されてしまう。そしてその「普通」はメディア体験によって現実からかけ離れている場合があり、メディア体験の個人差によっても「普通」の量は揺らいでしまう。

だとすると、単に標準レンズで撮れば済むという問題ではなく、基準そのものを固定するための工夫が必要になる。例えば異なる日に同じ機材で定点撮影した写真を並べて比較してもらう等。もちろん、それをやるとしても「望遠圧縮効果」を使った写真では意味がない。遠近感が消失して混雑度の差が把握しづらいからだ。

それは写真で表現できることなのか?

しかし、そもそもの話として、ある時点のある地点での雑踏の混雑度という情報が、私たちが本当に知りたい「外出の自粛の程度」を表しているかというと疑問もある。

たとえば駅から出てくる通勤客の混雑度は実際の出勤者の増減を正しく反映できていない可能性がある。ラッシュアワーの人出が減ると時差通勤で出勤時間を分散する必要性が低下するからだ。

つまり、今まで混雑を避けて早めに(または遅めに)出勤していた人が同じ時間帯に出勤するようになり、出勤する人の総数は減っても通勤ラッシュのピーク時の駅の人手はそれほど変わらないということが起こりうる。

要は、写真が「ある場所のある瞬間を切り取る」という表現である以上、混雑の時間的な分布や空間的な分布に変化があると、日々の定点撮影程度では人出の増減の総和を把握できなくなるということだ。

なるべく多くの地点で十分な時間をかけて動画を撮影するという手はあるが、それをわかりやすく提示するのが難しい。テレビや Web なら動画を早回しで見せるという手もあるが、新聞や雑誌では厳しい。動画にしてもそれを見て人出の総和を精度よく把握できるかというと難しい。頭の中で記憶を辿って時間軸に沿った積分するような能力が必要になるからだ。

結局のところ、何らかの統計処理を施した数字(あるいはその数字を可視化したもの)でしか精度の良い表現は難しいのではないか。その場合、統計処理や可視化処理の妥当性を主張するために学術論文並の記述が必要になりかねず、一般メディアに求められるレベルを越えてしまう。

であれば、一般メディアにできることは権威ある専門家が計算した結果を報道するぐらいであろう。当然、速報性という点では難がある。しかし市民とメディアの間に鋭い利害対立がある中、要求される精度を満たさない報道を繰り返すことで市民のメディアの不信が深まれば取り返しのつかないことになる。

問題は、市民が必要とする情報の精度がメディアが単独で応じるには高すぎる点にある。そのこと自体はコロナ禍の必然であり、どうしようもない。メディアの失敗はそれを安請け合いしてしまったことにある。撮影手法だけ変えたところで別の嘘が生まれるだけだ。仮に市民がその嘘に満足したとしても、市民に必要な情報が伝えられてないというメディアの存在意義が問われる状況に変わりはない。

一方で、市民の側にも一定のリテラシーが必要になる。統計処理のような操作をブラックボックスにしないためには市民の側に一定の科学的知識が必要になる。もっとも、短期間のうちに誰もがそのような知識を持つというのは現実的ではない。そのかわり、数多の「専門家」の中から誰が信頼できるかを適切に識別できるようになる必要がある。実のところその方が難しいのかもしれないのだが…

*1:初出時にヘリコプターとベイブリッジの距離を撮影地点からヘリコプターまでの距離と誤認し、ヘリコプターまでの距離を約1000m、遠近感を 0.30 としていました。お詫びして訂正します。

*2:高所から見下ろすアングルの写真については横浜ランドマークタワーからの撮影のようだ。

*3:見出しに「ノースドック」「ノースドッグ」「ND」「ND」を含む2005年4月7日から2017年8月8日までの468件の記事をを目視でチェックした。表記ゆれが他にある等の理由で見逃しはあるかもしれない。

*4:広角でも望遠でもない35mm版換算の焦点距離が50mm前後のレンズ。

*5:正確には地質研究会と合併して「地学部」である。

*6:ピントが手前の主人公たちに合っており、月はピンぼけ状態で描かれているため、これでも少し大きめになっている。

*7:マイクロフォーサーズの 25mm = 35mm版換算 50mm のレンズを使用。