楠正憲さんからトラバをいただいた。それによると青少年ネット規制法の法案策定段階でヘイトスピーチ規制が入りかけたという。
ブロッキングを目的としていないので深刻ではないが、青少年ネット規制法の民主党案横書きで、有害情報として「性又は暴力に関する情報であって人の尊厳を著しく害するもの、著しく差別感情を助長する情報その他人の尊厳を著しく害する情報」が例示され、与野党協議で落ちた経緯がある。
日本でヘイトスピーチが規制される可能性 - 雑種路線でいこう
なるほど、と思ったが、よく考えてみるとこれは欧州の例とは文脈が全く違うのではないかと思う。この話はヘイトスピーチから場を奪うのが目的ではなく、青少年に有害(教育上よろしくない)な情報をフィルタリングして子供の目隠しをしようという話だ。
青少年ネット規制法の対象が18歳未満ということを考えると、フィルタリングの効果として言論が場を奪われることは軽視できないが、本当にそれが青少年に有害なら仕方がないこととして受け入れられるべきだろう。何でもテキトーに有害とか言うな! という話は当然あるかと思うが。
では、現在流布しているような南京事件否定論が有害情報に扱いされうるかというと、もしそうなれば『正論』や『WiLL』が書店で18禁扱いになるということを意味するので、さすがに今の日本の状況がそういう方向に進みつつある、というのは杞憂ではないかと思う。
楠さんのもう一つの論点は、EUのヘイトスピーチ規制における国際協調の延長でヘイトスピーチ規制が日本にも求められる可能性はないかということだ。
歴史修正主義が差別感情を助長する情報に当たるかは議論を要するが、欧州の例を盾に、日本でも誤った歴史認識の発信を制限すべきとの主張が出てくる懸念は小さくない。例えば歴史問題で紛争が想定される中韓いずれも、自国民に対し言論の自由を大幅に制限しており、書き込んだ内容如何で本人が特定され検挙されている。
仮に児童ポルノに対するブロッキングのインフラが整った後、東アジアの外交問題で日中韓の世論が沸騰して各国政府が対応に苦慮した場合、中韓が自国内で対立を煽る言論を規制し、相互主義で日本も国民に対してネット上でのヘイトスピーチを規制すべきと主張したとき、どこまで押し返せるか。
日本でヘイトスピーチが規制される可能性 - 雑種路線でいこう
正直これは妙な話に思える。これはつまるところ「中韓が筋の通らないことを言ってきたらどうするか」という話だ。なんでそんな話なるのか? 中国や韓国の言論統制はヘイトスピーチ規制ではない。単に国家の秩序を乱す言論を規制しているのだ。中国は共産主義国家であり、韓国は現在も戦時下に準ずる国家体制だという事情がある。
ヘイトスピーチ規制は市民が弱者を傷つけるのを抑止するために自らの手足を敢えて縛る行為だ。強者たる国家が弱者たる市民の手足を縛る昔ながらの言論統制とは趣旨が全く逆なのだ。だから、中国や韓国が「ウチと同じように規制しろ」と言ってくるならそれは単に出鱈目なのだ。
そんな想定をするのも両国に対して失礼な話だが、もしそんなことがあるのなら、いいかげんにしろ、と言えばいい。あるいはスルー。実際ギョーザ事件に関して中国の高官が非公式に「国内世論のコントロールを要求」したことがあったがそのこと自体が報道される始末で*1事実上スルーしたはずだ。それができないような政治状況ならそもそも正論なんて通じない。必要なのはそんな状況に陥らないような外交努力だろう。
そんな心配をするならむしろ、日本国内の歴史修正主義が勢力を増した結果日中関係・日韓関係が悪化して国益を損ねるような事態になったとき、日本政府がそれに乗じて欧州の規制を盾に言論規制のフレームワークを作ってしまう、というシナリオの方を心配したほうがよいのではないか。この場合の処方箋はもちろん市民的な議論を通じて無茶な主張を淘汰するということになるだろう。
とはいえ、やっかいなシナリオも考えられる。何かのきっかけでフリーチベット運動が日本国内で盛り上がり日中関係が悪化して…というもの。知的に誠実であろうとすればチベット問題に関する中国政府の歴史観は受け入れ難いが、中国政府との間でそんな議論は成り立たないだろう。この場合はフリーチベット運動に関わる人たちが、日中間のしがらみにチベットを巻き込まないように、一種の人質状態にあるチベットの人たちの利益を第一に考えて戦略的に動く、というくらいしか手がなさそうだ。