はてなグループのダウンロード

年末にはてなグループが終了予定とのことですが、終了後にグループを閲覧可能にするかどうか未定とのことなので必要なグループはダウンロードしておくことにした。「従軍慰安婦問題を論じる」とか。

以下、結果は無保証なので自己責任で。

基本 wget でミラーするのだけど単純にミラーするとカレンダーを延々辿っていって終わらないので、そのあたりをスキップするようにしてみた。

wget -r -N -l 500 --no-remove-listing --page-requisites --no-parent --convert-links --adjust-extension -w 1 --random-wait --reject-regex '\?mode=reply$|\?mode=edit$|/calendar/?$|/calendar\?.*|/keyword/[0-9][0-9][0-9][0-9]-[0-1][0-9]-[0-3][0-9]|/captcha\?.*|/[0-9][0-9][0-9][0-9][0-1][0-9]$' グループのURL

--reject-regex オプションでスキップするURLのパターンを書いている。グループのカレンダー、日付のキーワード、日記のカレンダーは前後に辿るリンクを無限に辿ってしまうのでスキップ。ついでに掲示板の返信リンク、キーワードの編集リンク、captchaのリンクもスキップするようにした。

これで一応無限に辿ることなくダウンロードできた。リンクの変換も指定してあるのでローカルで閲覧もできるが、Firefox だと(?)掲示板が表示できない。というか、元のサイト上でも表示できない… どうも http://ad.hatena.ne.jp/js/google_afc.js の読み込みが終わらないのが原因らしいので、このスクリプトの読み込み部分を消してしまうことにした。

find ダウンロードしたフォルダ -type f | awk '{ printf("'\''%s'\''\n",$0) }'| xargs sed -i 's/<script language="JavaScript" src="http:\/\/ad.hatena.ne.jp\/js\/google_afc.js"><\/script>//g'

sed -i は指定されたファイルを上書きするので find で間違ったフォルダを指定しないように注意。

上のコマンドだと限定公開の日記はダウンロードできないのだけど、そのへんはwget のクッキー関係のオプションを使えばなんとかなるはず。

人喰いの大鷲トリコ

人喰いの大鷲トリコ、どのくらい進んでるのかいまいちわからないのだけど、少しずつ懐いてきたトリコが言うこときいたり空気読んで助けてくれたりするようにはなってきました。

マップの謎解きは今のところ変にいじわるなところはなし。迷う所ではナレーションでヒントが出る親切設計。ナレーションは大人になった主人公の回想という形で入ってくるのでお節介感なく映画のワンシーンを演じてる気分で聞けます。

立体的で入り組んだマップなので自分がマップ全体のどのへんにいるのかいまいち把握できなくて、あの場所へ行く、みたいな目的意識を持って進むというよりは、とにかく仕掛けが出てたら作動させて前に進む感じ。ICOワンダと巨像もそうだったけど、高所作業多いです。苦手な人は注意。

トリコの生き物っぽさは、見た目の質感や細かい仕草、自律的に行動する部分もよくできていると思います。犬や猫に似ていながらも巨大生物らしさがあり、親しみやすさと得体のしれなさのバランスが絶妙です。人間との距離感も近すぎず離れすぎず、野良猫みたいな感じでリアル。

巨大な生物がそばにいて、高低差の激しいマップを探検する、というシチュエーションなので、上下方向の視線移動が必然的に多くなるのですが、カメラワークが映画的というか、コントローラーの操作にリニアに応答しないところがあって、ちょっと難あり。あわてずのんびりプレイするほうがいいゲームみたいです。

というか、そもそも横長の画面で視界が制限されてる感じが強いのが辛い… こういうゲームこそVRが向いてるのかもしれません。PSVR対応アップデートとかあるかなー。

まあ、このゲームのためにPS4買った甲斐はあったと思えるだけのものはありました。随分待たされたし、危うくPS3買わされるところだったけど…




(初出: facebook)

生産性はなぜ上がるのか

前回のエントリに対するあままこ(id:amamako)さんの応答へのお返事です。

さて、前回のエントリの主張をざっくりまとめると「潜在成長率がプラス(数%)になるので失業を防ぐためにはそれに見合った経済成長が必要」「そのことは「生産性で人間をはからせない」こととは矛盾しない」ということです。

それに対するあままこさんの反論をざっくりまとめると「潜在成長率がプラスになるのは自明ではない」「潜在成長率をプラスにするような思想こそが「生産性で人をはかる」思想なのではないか」ということでしょうか。

これに対する僕の回答は以下になります。

まず「潜在成長率がプラスになるのは自明ではない」は Yes です。僕の議論は近代資本主義を前提にしています。産業革命以前の社会では成り立たない話でしょう。

「潜在成長率をプラスにするような思想こそが「生産性で人をはかる」思想なのではないか」もそういう傾向はありうるという点では Yes と言えるでしょう。

しかし、僕が問題にしている数%(飯田泰之氏の説だと2%)の潜在成長率というのは、社会に「生産性が人間の価値の全て」という風潮が蔓延するほどのものとは思えません。そこまで万人に成長へのコミットメントを要求するものではないし、過半の人が一切成長しなくても成り立つ話です。

あままこさんは「人間は「生産性を向上して利益を上げなきゃダメな人間なんだ」という文化・価値観に縛られてるから、生産性を向上し利益を上げようとする」のではないかと主張していますが、それは僕の実感とはかけ離れています。

僕の職業はプログラマですが、製品コード以外にもちょっとしたスクリプトを書いて作業工程を自動化したりしています。これもわずかながらに生産性を向上する営みの一つですが、別にそうしないと「ダメな人間」とは思いません。いや、「ダメなプログラマ」とは思うかな… しかし「ダメな人間」にならないためにやってるわけではないのです。

この手の生産性向上というのは「楽して同等以上の結果(=利益)を出したい」というのが動機になっている面が大きくて、それは言い換えると「楽はしたいけど今より貧しくはなりたくない」「楽して今より豊かになるならもっといい」ということです。

もちろんスクリプトを書くのが「楽」かどうかその人の能力によります。でも解かれるべき課題とそれにマッチする才能を持つ人が出会えば生産性の向上は必然的に起こるのです。それこそ「働きたくない」と思っているからこそ起こってしまう。そういう出会いがない人が大半かもしれませんが、それでもトータルで年率2%程度の生産性の向上は起きてしまいます。

貧しいとか豊かというのは、単にお金のことではなくて、自分のやりたいことをどれだけできるかということです。やりたいことというのは、僕の場合だと天体写真を撮るのがそうですし、「国境なき医師団」に寄付するのだってそうですが、人それぞれでなんだっていいんです。

僕も含め多くの人は働いて得たお金でその人が価値があると考える活動をするために働いています。資本主義社会ではお金であらゆる活動が可能になるので、価値観は多様でもみんなお金を稼ごうとします。「経済人(合理的経済人)」というのはそういうことだと思っているのですが違うのでしょうか?*1

もちろん、お金がそのようなものであるからこそ「お金こそが普遍的な価値」「生産性は絶対的な価値」と思いつめる人も出てきますが、それは倒錯的な考えです。アマチュア天文家が天体望遠鏡を買うために働いているのに働き詰めで夜に星が見れないのだとしたらそれは本末転倒でしょう。

それでもそういう倒錯的な考えが蔓延っているのだとしたら、それは稼いだお金がもっぱら生存のために使われていて、多様な価値観のために使われていないからではないでしょうか。つまり「命=お金」が生活実感になってしまっていると。そしてそういう状況は、労働力を安く買い叩ける状況、すなわち労働力が余っている状況、要するに経済成長が足りていない状況なのでは?


最後に「生きるに値しない命がある」というナチスの思想が「生産性を向上して利益を上げなきゃダメな人間なんだ」という価値観の延長線上にあるのかという点について。

『自由からの逃走』も『啓蒙の弁証法』も読んでいないのですが、ナチスの場合「生産性」それ自体が自己目的化しているというよりは、それこそ富国強兵の思想、国家や民族の繁栄こそが絶対的な価値、という価値観が先にあっての「生産性」だと認識しています。これは多様な価値観から生まれる多様な活動を産むための「生産性」という価値観とは真逆です。

相模原の津久井やまゆり園の障害者殺傷事件(相模原殺傷事件)はこれとは少し違うと思っています。この事件の容疑者は自ら「ヒトラーの思想が降りてきた」と語ってはいたものの、国家主義民族主義的な色合いは希薄です。彼も後にナチスユダヤ人虐殺は間違っていた、しかし障害者の安楽死は問題ないと語っています。*2

これは頭の痛い話なのですが、彼自身は日本が財政破綻の寸前に追い込まれていると信じていて、福祉の負担を軽減しないと社会が保たないと考えているのです。ここまでは多くの人が信じているストーリーとまるで変わりはありません。実際のところ、これはひどく誇張されたストーリーなのですが、それはひとまず置きます。

カルネアデスの舟板の寓話のように「誰かを犠牲にしないと誰も助からない」という状況では誰かを犠牲にすることが正当化される場合があります。この状況では犠牲者の選別は多くの人がやりたがらない、しかし多くの人はやって欲しいと思っている仕事です。彼は自分がそれを敢えて引き受けたことを評価されるべきだと思っているフシがあります。

ここまでは割とありふれた、ある意味善意と言ってもいい動機なのが怖いところです。正直「いや、それは現状認識が間違っているから」で逃げたい気分です。「意思疎通がとれない」かどうかという彼の選別基準はあまりにも雑だろうと批判はできても、ではお前はどんな基準で選別するのか、と言われたら何も言えません。せいぜい黙って自分が舟板から手を離すぐらいしかできない気がします。

実のところ彼は「生産性」を命の選別の基準としては挙げていません。生産性のない人にお金を回すから財政が悪化するという話はしているようですし、*3 「生産能力のない障害者は不幸をばらまく」とも言っているようですが、*4 命の選別という点ではむしろコミュニケーションを人間の条件として、それを裏返して人とつながれない人は人間ではない、殺していい、と短絡しているように見えます。

相模原殺傷事件は事件の構図があまりにステレオタイプなのでナチズムや優性主義と関連付けられがちですし、そこから「生産性」の話になりがちなのですが、「短絡」に至る手前までの理路は比較的「常識的」なもので、だからこそ心が震えます。

「「生きるに値しない命」などない!」
「しかし、誰かを犠牲にしなくては誰も生きられない状況にあるとしたら?」

僕はこの問いに対する確かな答えを持ち合わせていません。でも「まず状況の方を変える努力を最大限尽くそう」とは言えると思います。また「その状況認識が間違ってないか落ち着いて考えよう」とも言うべきだと思います。

僕が適正な経済成長を重視するのは、成長しない経済環境にはそういった状況に陥るリスクがあるし、なにより悲観的な状況認識を生み出しやすいからです。もちろん経済成長していれば万事大丈夫ということは全くないですが。*5

これで答えになっているでしょうか?言い足りないところや詰めきれてないところはたくさんありますが、ひとまずこれでお返事とさせてください。

*1:Wikipedia の「経済人」の説明だと拝金主義みたいなニュアンスが強いのですが…

*2:参照:「ヒトラーとは考えが違う」植松聖被告が獄中ノートに綴った本心

*3:参照:被告との対面 事件を問い直す - 特集ダイジェスト - ニュースウオッチ9 - NHK

*4:参照:「善意」の暴走、「生産性」追求の果て 続く差別との闘い | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞

*5:資源や環境の有限性からいずれは成長できなくなる(潜在成長率がゼロになる)日が来るかもしれませんが、僕は何十年、何百年も先のことを予測できるほど賢くないので、そういうことは誰か賢い人に考えてもらいたいです。今はそれより大事なこと、今できることがたくさんあります。

経済成長はなぜ必要か

あままこ(id:amamako)さんのこの記事へのお返事です。

長らくブログでの議論からは離れていたのですが、Twitter のつぶやきで済ますには込み入った話ではあるのでエントリにします。あままこさんのブログも何年ぶりかもわからないくらい久しぶりに読んだので、色々前提を見逃しているかもしれませんが、ご容赦ください。

「富国強兵と経済成長をごっちゃにしてるところで読むのやめた」とコメントした安冨氏の記事はその後も読んでないのですが、この件に関してはたぶん差し支えないと思うので読まずに書きます。

僕は日頃から「経済成長が大事」と主張していますが、そこで僕が言いたいのは「生産性を上げていこう」という話ではない、という話をします。

そもそも生産性というのは嫌でも上がっていくものなのです。労働者の日々の創意工夫や突発的な技術革新によって、同じモノを作ったりサービスを提供したりするのに必要なコストは下がっていきます。言い換えるとより少ない労働者で同じだけのモノ・サービスが供給できるようになります。*1

ということは、ただ生産性が上がるばかりで需要の拡大が伴わないと労働者が要らなくなるわけで、失業が発生したり所得が減少したりします。「供給ではなく需要が問題」というのはそういうことなのです。つまり、生産性の上昇に見合っただけの需要の拡大=経済成長が必要である、というのが僕の考え方です。なので、経済成長と言っても年率にして数%程度が必要だと言っているに過ぎません。

以上は『経済成長って何で必要なんだろう?』の飯田泰之氏と岡田靖氏の説に依拠しています。*2 このあたり、はっきり理論化されて定説になっているわけではないので、どこまで正しいのかわからないのですが、ともあれ、僕はそういう立場から「経済成長が大事」と言っているわけです。

なので、僕の経済観からすると、あままこさんの言う「「経済成長を維持することを第一に考える社会」というのは、「生産と消費を増やすことを常に人々に強いる社会」」というのは前提からして違う、と言わざるを得ません。

生産性の向上は、経済成長のために強いられているのではなく、個々の生産者が利益を追求する過程で必然的に生まれるもので、しかし経済成長がないと副作用として失業やらラッダイト運動やらが発生してしまいます。そういう順番の理屈なのです。

なので、僕の立場からは「生産性で人間をはからせない世の中」と経済成長は両立します。

というよりは、経済成長がなければ労働力は余り、余った労働力を選別する際に「生産性で人間をはかる」論理が顕在化してしまうので、低すぎる経済成長は「生産性で人間をはからせない世の中」の実現の足を引っ張ることになるのではないでしょうか。

経済成長があれば「生産性で人間をはからせない世の中」になるというわけではありませんし、そもそも所有権の根拠を労働に求める以上「生産性で人間をはかる」考え方からは逃れられないのかもしれませんが、誰かのクビが切られなければ自分のクビが切られるという状況では「あいつの方が生産性が低い!」という足の引っ張り合いが横行してしまいます。

生きられた現実を「生産性で人間をはかる」論理で正当化し、その論理に絡め取られてしまって非人道的な政策を容認してしまう、といったことも起こるかもしれません。そういう意味では、「生産性で人間をはからせない世の中」を作りたいなら経済成長はあった方がいいのではないでしょうか。

一方で経済がどうであろうと経済成長を「富国強兵」の言い換えぐらいにしか思っていない人がいるのも事実でしょう。安倍首相だってそうかもしれません。市民の生活よりも日本を偉大な国家たらしめるために経済成長率は高ければ高いほどいい、そして国家に貢献しない生産性の低い「生きるに値しない命」*3 は… みたいなことを考えている人だっているでしょう。

でも「富国強兵」を否定するために経済成長を否定する必要はないのです。僕ならただ一言「「生きるに値しない命」などない」と言います。それ以上の理屈など不要ではないでしょうか。

*1:ここまでの話は、モノやサービスを作るのに必要な資源は足りているというのが前提で、資源が枯渇して同じモノを作るのに必要なコストが上がっていくような状況では話は違ってきますが、現状あるいは向こう数十年はトータルで見れば資源不足は問題にならない、という認識で話を進めます。

*2:

*3:ナチスの障害者殺害政策(T4作戦)のキーワード。

Ubuntu 18.04 の Shotwell で Flickr にログインできない

Ubuntu 18.04 の Shotwell (0.28.4)から Flickr に写真をアップロードしようとしたところ、間違ってログアウトボタンを押してしまい、しょうがないなーと思ってログインしなおそうとしたらログインできませんでした。

最初は yahoo.com のアカウントのメアドとパスワードを入れてもパスワードが違うと言われてログインできず、おかしいなと思いブラウザ上から yahoo.com にログインしたところ普通にログインできて、同じメアドとパスワードで flickr にログインしようとするとやはりパスワードが違うとエラーに。

わけがわからないのですが、とりあえずパスワードリセットをかけてパスワードを再設定したところ数分ラグがありましたがログイン出来るようになりました。

問題はその後で、Shotwell の Flickr ログインの方は OAuth の許可画面が出るところまではたどり着いたのですが、許可のボタンを押しても Flickr authorization failed となってアップロードに失敗します。

"Flickr authorization failed" でググると、どうも Shotwell のバグのようで既に修正済みとのこと。ずっとログインしっぱなしだったから気付きませんでした…

ソースコードの修正は2018年11月14日。Ubuntu 18.04 の Shotwell の最新は 0.28.4 で更新は11月12日ということで、修正は入ってません。

しょうがないので PPA から最新の 0.30.4 を入れることにしました。

上の修正をコミットした人がやってる PPA だから大丈夫でしょう。

パッケージ構成が変わったのか shotwell-common が削除されたりしてビビりましたが、無事アップロードできるようになりました。デフォルトでダークモードになってましたが、これは設定で変えられるようです。

はてなブログライター v0.9.1

はてなブログライター v0.9.1 をリリースしました。新機能はなく、バグフィックス版です。

変更点

  • hbw.rb で初回投稿を行う前に hbw.rb を実行した場合にエラーになるバグを修正しました。
  • hbw.rb で初回投稿を行う前に hbwdl.rb を実行した場合にエラーになるバグを修正しました。

hbwdl.rb がエラーになった場合の注意点

hbwdl.rb が上記バグでエラーになった場合、エントリファイルが1件ダウンロードされた状態で停止しますが、このファイルは次に hbw.rb を実行する前に必ず削除してください。そうしないとこのファイルがローカルで新規作成したエントリファイルと誤認され、hbw.rb で新規エントリとして投稿されてしまいます。

実は hbwdl.rb 開発中にダウンロードされたエントリが新規エントリとして投稿される現象が発生してその後再現しなくて気になっていたのですが、どうやら上の現象と同様の現象のようです。

開発中のバグでダウンロードしたエントリの投稿データファイル(.dat)の保存に失敗した場合に、対応する dat ファィルのないエントリファイル=新規エントリファイルとして扱われてしまったようです。hbwdl.rb を再実行してもそのようなファイルに対しては上書きを行わず同じエントリのファイルを連番のファイル名で保存するので問題は解決しません。

ということは上記バグ以外でもIOエラーや強制終了などの理由で .dat が保存されなかった場合は同じ現象が発生するはずですが、これはどうしようかな… .dat 保存完了までエントリを仮のファイル名で保存して最後にエントリファイルの書式のファイル名にリネームすればいいのかな?これは次のバージョンで対応するかもしれません。

このブログについて

はてなダイアリーのインポートの件も落ち着いたので、このあたりでこのブログの自己紹介をします。

このブログは「はてなダイアリー」で2004年から15年近く続けていた「児童小銃」というブログの移転先です。id:rna = なんばりょうすけ が書いています。

元々このブログはダイアリー以外のあちこちの場所に書き散らした文章を一か所に集める目的で始めたものです。ブログの名前「rna fragments」*1 も断片的な文章を集めたものという意味でつけた名前です。

はてなダイアリーのサービス終了にあたり、「児童小銃」の移転先をどうするか考えたのですが、このブログにコンテンツをマージして移転先としました。リダイレクト設定もしてあるので、「児童小銃」の記事へのリンクはこちらのブログの記事に転送されるようになっています。

「児童小銃」のテーマは「見えない自由がほしくて/見えない銃を撃ちまくる」(THE BLUE HEARTS『TRAIN TRAIN』)でした。精神の自由のために容赦ない言論を書き綴る、という意味をこめて、ブログのトップにこの歌詞を引用していました。

「児童小銃」はプライベートな日記ではありましたが、社会問題について議論することも多く、トラックバックやコメント等で多くの方々とやりとりをさせていただきました。得るものも失うものもありましたが貴重な体験でした。

移転にあたって、ブログの名前をどうするか少し悩んだのですが、今の自分はもう「見えない銃を撃ちまくる」ような気力も体力もないですし、思考の断片を残すのがせいぜいだろうという思いもあって、「rna fragments」のままにすることにしました。

このブログとは別に、2017年から「Deep Sky Memories」という天文の趣味に特化したブログを始めて、そちらをメインブログにしています。「Deep Sky Memories」の紹介はこちらのエントリを参照してください。

はてなでブログを始めて15年、個人サイトで日記を書いていた頃から数えると22年以上ネットに文章を書き綴る生活を続けてきましたが、ここ10年ほどはつぶやきばかりでまとまった文章を書くことがほとんどなくなりました。

理由は色々あるのですが、一つにはネットでのコミュニケーションが負担になってきたということがあります。議論する際に、立場の違いはあっても前提は共有できている、という期待ができなくなってきたと思います。

また、これは特に東日本大震災原発事故の後からだと思いますが、通じ合える部分をみつけて仲間意識を持つというよりは、通じ合えない部分をみつけて敵対する、という関係が多くなったように思います。

理由のもう一つは、専門家のネット進出です。ネットの黎明期と違って今は様々な分野の専門家が自らネットで情報発信し、議論する時代です。特に若手はデジタルネイティブでネットでの立ち回りも一流です。ネットに強くてちょっと文章が書ける、という程度の素人の出る幕はありません。

もちろん素人の書くものにも意味はあります。同じ事を考える仲間がそこにいる、ということに勇気づけられる人も多いでしょう。でも僕自身がそういう連帯感にあまり興味がない、というか、どうしても違う意見を持ち出した時に生まれる軋轢の方を心配してしまうのです。

そういうわけで、以前のようには続けられませんが、気が向いた時に何か書く場としてこのブログを使おうと思います。

あと、はてなブログ投稿用のコマンドラインツール HatenaBlogWriter のサポート窓口としてもこのブログを使います。

そういうわけでよろしくお願いします。

*1:昨日まで fragments のスペルが間違っていました…