「北朝鮮の歴史」の続きについて

[id:rna:20040803#p3] で紹介した「北朝鮮の歴史」ですが、掲載紙の『WORKERS』編集部に問い合わせたところお返事がありました。連載は91号の第7回で中断してしまい、筆者はそのまま『WORKERS』を離れていて、事実上それが最終回になっているそうです。

続きの原稿があるかどうかは不明で筆者の小川紀さんに問い合わせて欲しいとのこと。小川さんの連絡先は不明ですが関西で「ウイング」というミニコミ誌を発行しているらしいです。どなたかご存じでしたら教えて下さい。

なお、編集部の方から91号のバックナンバーから欠落していた第7回連載分のテキストファイルを頂きましたが、これは許可があればこちらに転載します。

(追記) 許可がおりましたので掲載します。

 前々回見たように、四六年三月の土地改革は、いわゆる集団化ではなく、農民への土地分与でした。
 しかしそれは、一方で農民に土地を分与し、農民を私的所有者として確立しながら、他方、この分与された土地の「売買、抵当、賃貸借をいっさい禁止する」としていました。すでに指摘しましたように、これは明らかな矛盾であり、私的所有を本当に認めようとするのであれば売買等を認めるしかありませんし、売買等を本当に否認しようとするのであれば私的所有そのものを否定するしかありません。
 そして、朝鮮戦争後……。

集団化の強行

 朝鮮戦争については今回は省きます。例えば、本紙九五年六月一五日号を参照してください。
 戦争のあと、金日成の一派は、上記の後者を一気に強行しました。つまり、売買等の禁止だけでなく、土地の私的所有そのものの否定、いわゆる農業集団化です。
 それは一九五三年から五八年にかけておこなわれ、その進行状況は表2−2に見るとおりです(高昇孝(コ・スンヒョ)『現代朝鮮経済入門』、新泉社、五八頁より)。
 さて、そこでまず僕らに思い出されるのは、なぜ四六年三月の土地改革では集団化ではなく土地分与が選択されたのかを説明した際に高昇孝氏が述べた言葉です。いわく、「朝鮮農民の私的所有の伝統と土地に対する願望はきわめて強かった」(同前、二七頁)。そしてこれは、実は当時の金日成の言葉、「農民の最大の願望は、自分の土地を持つことである」(金日成「土地改革の総括と今後の課題」、『金日成著作集』第一巻、二三頁、同前より重引)を踏まえたものでした。かくして高氏は言いました、「土地を働く農民に分与するという朝鮮労働党の土地問題解決の綱領は、こうした土地に対する農民の強い願望を反映したものということができる」と(同)。
 しかし、だとしたら、この農民の願望はどうなったのでしょう。それほど強く望んでいて、ついに手にするこのできた自分の土地を、わずか数年して、農民は「いや、せっかくだけど、やっぱり要らないよ」と思いを一八○度変えてあっさり手放す気になったというのでしょうか。

異例のスピード

 二点の疑問が湧きます。第一に、いま見たように農民の気持はどうだったかということ。果たしてこれは農民の自発性にもとづくものだったかどうか。もし自発性にもとづかないものであるなら、ゴリ押しすれば後できっとツケがまわってきます。
 この疑問が特に頭をもたげるのは、表2−5(同前、六二頁)に見るように、他の「社会主義」諸国に比べても北朝鮮の集団化のスピードがきわだっていることです。
 そして実際、高氏も、一方では「協同化運動の過程で生じうる一連の偏向、とりわけ左翼的偏向を適時に克服することが必要であった。すなわち、協同化運動をできるだけ速く推し進めようとする主観的願望から、一挙に規模の大きい組合や高い形態の組合を組織するといった傾向がそれである」(五九頁)と認めています。
 ところが、そう言った数ページあとで、高氏は、むしろ他の諸国と比べ北朝鮮がいかに素晴らしかったかを浮かびあがらせようとして上記表2−5を引くのです。いわく、「朝鮮における農業協同化運動は、東欧諸国に比べて四〜五年、中国に比べても一〜二年おくれて始められた。にもかかわらず、農業協同化運動はきわめて早いテンポで展開され、わずか四〜五年のあいだに完成された。表2−5はそのことを示している」(六一頁)。
 そしてこの異例の速さを、高氏は、一つには「農村における階級の力関係が農業の協同化に決定的に有利であったという事情」から、もう一つは、すでに見たように四六年三月の土地改革が、土地の私的所有を認めながらその売買等を禁止したことによって、「農民の土地所有観念を希薄にした」とし、このことから説明しています(六三頁)。
 前者は、要するに、すでにのこの時期までに労働党一党独裁体制、恐怖政治の体制が確立され、その政策を有無をいわせず実行することができるようになっていたということを言葉を変えて表現しただけのことです。だから「力関係が」というのは、まさにこの通りでしょう。
 だが後者はどうだったか。売買等の「禁止」といったことで、それもわずか数年で、果たして人間の所有観念が希薄化されるのかどうか。

物質的条件ぬきに?

 疑問の第二は、仮に、万が一、自発性にもとづくものであったとしても、だとしたらうまく行くかどうか。
 社会科学の常識では、集団化、社会主義化というのは、ある一定の物質的条件を必要とすると、普通考えられています。ちなみにWorkersでは、この物質的条件について「機械制工業があれは社会主義は可能」「いや、社会主義、つまり生産の意識的な、トータルな組織化といったことはコンピューターや高度な通信機器なしに不可能」「いや、コンピューターや高度な通信機器を前提しても、人間の欲望をあらかじめ計算し、それに合わせて生産をおこなうなどというのは原理的にいって不可能ではないか」との三つの異なる意見が出され、議論がつづいています。しかし三者とも、人間の意志や「階級闘争」で社会主義を実現できるなどありえないと考える点では共通しています。
 では当時の北朝鮮は、生産力のどんな発展段階にあったか。朝鮮戦争によって文字どおり焼け野原と化した国土を前に、まさに一からスタートを切ろうというところでした。
 こうした、初歩的機械さえ欠く農村で、果たして、ただ土地と農民を集めただけで合理的、効率的な農業を組織し、運営していけるかどうか。
 以下、集団化後の農村の現実を追うことで、今回あげた二点の疑問の答えを探っていきたいと思います。
      (小川 紀)



idトラックバック: