[id:using_pleasure:20040906#1094403522] より:
彼/女らはただ単に「生き返る」ということしか口にしてなく、具体的にはそれがどんなことを意味するのか、ということについて何も述べていない。ということは、彼/女らの主張は、たんに「死人が生き返る」という直喩的な主張なのではなく、「魂の不滅」みたいな主題の隠喩的表現だと考えたほうがいいのではないだろうか。
確かに「生き返る」と答えた子供達もさすがに肉体の復活は主張しておらず、生まれ変わりを主張しているわけで、「魂の不滅」みたいな話と言えなくもないです。
しかし、宗教が「魂の不滅」を主張するのは「死の理不尽さ」を恐れる気持ちを救うためのものです。仏陀だって死の理不尽さについて悩んで悟りを目指したわけで。なので、素朴な*1宗教感情が残っていた時代でさえも、基本は「死は理不尽でとりかえしがつかない」ではないでしょうか?
件の子供たちが「魂の不滅」を主張しているとしても、そもそも「死の理不尽さ」を恐れる感覚があった上で、それを乗り越えて出した結論なのか? という疑問があるわけです。ちょっと悟りをひらくには早すぎるだろうと。「テレビで言ってたから」で悟りひらかれちゃたまりません。
番組の映像で母親とのやりとりのシーンなどを見た感じでは、どうしても「死ぬということがよくわかってない」という印象が拭えませんでした。
念のため付記しておくと、僕はあの番組の話の持って行き方にはあまり納得していません。というのは、
- ああいう死生観は「今の」子供に特有なものか?
- 仮にそうだとして、それが子供のクォリティに何か関係あるわけ?
- そんな死生観が自殺や殺人が容易にしているというのは飛躍しすぎでは?
- 佐世保の事件の加害児童が「会って謝りたい」と言ったのを文字通りに捉えるのは妥当なのか?
- 子供達が「生き返る」と思った理由についてちゃんと調査してないっぽい。
という疑問があるからです。
小学校中学年くらいの時、教室で幽霊を信じるかって話を聞いてまわったら半分以上は信じてたような。でも、同じ「魂の不滅」でも幽霊と「生き返る」は違うよなぁ。生き返れないから幽霊なんだから。
ちなみに僕自身の子供の頃を振り返ると、死の恐怖みたいなのを意識するようになったのは小学校高学年以降だった記憶が。だんだん未来に具体的な希望を持つようになって、今死んだらやりたいことをやり残してしまう、という気持ちが強くなるにつれ死にたくない、死ぬのが怖いと思うようになりました*2。
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