外見と内面

[id:Masao_hate:20050819:1124456792] について。適当に思いついたこと*1などを。

ファッションチェックで評価される内面とは

ファッションチェックはファッションセンスを通じて内面(人格)を評価しようということではなくて、最低限外見に気を遣っているかどうか、もっと言えば他人の視線を意識して行動しているかどうかを見ているのではないでしょうか。

プログラマの世界だと、コーディングスタイルを見てその人が最低限の経験とスキルを備えているかどうか判断するということがあります。インデントが無茶苦茶なコードを平気で書く人は他人が読むコードを書いたことがないだろうとか、ぶら下がり else を平気で書く人は他人のコードのメンテナンスで苦労したことがないだろうとか、色々推測できます。文法エラーが残っているのは論外。

もちろん小綺麗なコードが書けるからといって論理的思考能力や問題解決能力といったプログラミングにおいて本質的な能力が優れているとは限りません。しかし、他人が見てわかりやすい綺麗なコードを書く能力は、チームで仕事をする上では前提条件になりますし、他の能力はそれなりにコストをかけないと十分に評価できないので、平気で汚いコードを書く人は(他の能力がよほど突出して優れていない限り)それだけで軽んじられることは多々あります。隠しても隠しきれないほどの輝く才能を持つ人は別として、普通の人はちゃんと評価されたければそのへんのハードルは越えていかないと辛いです。

女の子のファッションチェックも(たぶん)これと同様の意味合いがあるのでは。

Masao さんは騙してない

Masao さんは自らの(僕も他人事とは思えないような)体験談をもとに「ファッションで他人は簡単に騙される」としていますが、上の意味での内面の評価ということを考えると、Masao さんは騙してないし、会社の女の子も騙されてはいません。Masao さんが脱オタを決心した時点で「他人の視線を意識して行動しているかどうか」はクリアされています。それが伝わったからこそ会社の女性は安心して声をかけられるようになったのでは? ブランドものに記号的に反応したわけではないと思います。

というか、自分を自分が他人に見て欲しいように見せる、理想の自己のイメージを他人の心の中に作り出す、というのは「騙し」なんですかね? 最後に掌返ししてバックレない限り「騙し」じゃないと僕は思います。そんなイメージは最初は「作りもの」かもしれませんが、他人の中の自己のイメージに愛着を感じるようになり、そのイメージを裏切らないよう努力するようになれば、それはそれで「本物」の自分なんじゃないでしょうか。

自己責任論

でも実際には、努力ではどうしようもないほどにカオが不自由な方ってのは実在するわけで、そういう方に「オマエがモテないのは生まれのせいじゃない!内面が醜いからだ!努力不足だからだ!」と自己責任にしてしまうのは、あまりに残酷ではないかと。

一般論としては正しいですが、ここで求められている「内面」というのはスペックの問題ではなくてコミットメントの問題なので少々的はずれかと。むしろ「外見に気遣ってます」という態度の評価は外見だけでチェックされるので、実は内面に深く踏み込むような厳しい評価を免除しているという側面があります。このへんは敬語の効用なんかと似ているかも。

もっとも「他人の視線を意識して行動する」ことが生得的に困難な人もいます。たとえば自閉症圏の障害を持つ人がそうだと言われています。そういう人に対してはそういう評価基準自体が酷な話かもしれません。いわゆる「非モテ」の人がそれに該当するかどうかはわかりませんが。。。

目つきとか顔の美醜について

顔のキモさというのは顔のつくりよりも表情の出し方の問題が大きくて、大抵は「ユルさ」とイコールだと僕は思っています。やはり他人の視線を意識してなくて、感情が表情に垂れ流しになっていたり、ニュートラルな表情を作ってなかったりして、顔が表現の道具として機能していないような顔つきが、コミュニケーションの意志が感じられないという意味でキモがられるのではないでしょうか。「目つきが後天的」というのはこの意味での話かと。


*1:関連する話の流れはほとんどフォローしてません。