騙されたくない人たち

他人のブックマーク辿ってたら昔保留にしてそのまま忘れてたネタに再会したので忘れないようにメモ。ほんと今更なんですけど。

違うと思う。逃避と言えばそうかもしれないが、あの事件が「つらい状況」だったわけじゃないと思う。イラク人質事件で自作自演説を唱えていた人たちが事件自体にショックを感じていたようには見えず、むしろ幸せそうにさえ見えた。自作自演説は追いつめられて現実から逃避というよりは、「どの立場に立てば一番評価が高いか」という観点から彼らなりに合理的に選択した結果ではないか。

事件を報道で見たままに素直に受け止めるか(信用)、自作自演説のような裏読みを試みるか(懐疑)、それぞれの選択における評価の期待値を考えよう。ただしここで言う評価は立場を選択する者が予期する評価値で、人によって違う。

横軸に事件の真相、縦軸に事件に対する態度をとって、組み合わせ毎に予期される評価を考える。

真実 陰謀
信用 a(+) b(-)
懐疑 c(-) d(+)
  • a は素直に信用して騙されなかった人(正直者)に対する評価。
  • b は嘘を真に受けて騙された人(バカを見た正直者)に対する評価。
  • c は裏読みが裏目に出た人(バカエスパー)に対する評価。
  • d は裏読みして陰謀を見破った人(リアルエスパー)に対する評価。

エスパー」については [id:rna:20040530#p2] を参照。

ここで言う評価は相対的に評価が上がるか下がるかということ。a, d は予想的中なのでプラス評価、 b, c は予想を外しているのでマイナス評価。

p を事件に裏がない確率(自作自演の確率は 1-p)だとすると、それぞれの立場をとった場合の評価の期待値は、

  • 信用した時の評価の期待値: ap + b(1-p)
  • 懐疑的立場の評価の期待値: cp + d(1-p)

となる。

懐疑説(自作自演説)を唱えることが合理的になる場合、確率の見積もりと評価構造の見積もりの二つの側面がある。具体的には、

  • p を低く見積もる
  • d を相対的に高く(大きなプラスに)見積もる
  • b を相対的に低く(大きなマイナスに)見積もる

のいずれか、あるいはこれらの組み合わせということになる。kmiura 氏の場合は認知の歪みによって確率の見積もりが歪むという点に注目しているが、僕は d が高く b が低くなるような(正直者が馬鹿にされ、エスパーが賞賛されるような)評価構造を支える価値観と状況に注目したい。

一言でいうとサヨクに騙される事を極端に恐れ、サヨクの陰謀を暴くことに喜びを感じてしまう人たちが一定数いて、そういう人たちが自作自演説を支持したのではないかということ。リリカ氏の件についても似たような構造があると思う。(つづく、かも)