「水伝」の宗教性

今更ですがいまいち話題になってない気がするので。「水からの伝言」の江本勝氏のヤバいメッセージについて。「水伝」を道徳としてならともかく科学として教えるな、というのはよく言われるし僕もそんなことをいいましたが、じゃあ道徳としてはどうなのか。まあこれを読んでみてください。

あまりに人を見ず水ばかり見ている態度に神経を疑います。一種のセカイ系? どうも自分と水(=神?)の関係にばかり興味が行って、人間とか社会という中間部分がすっぽり抜け落ちている印象があります。

冒頭では犠牲者への配慮らしきものを見せていますが、いきなり馬脚をあらわしています。

本原稿をしたためている2005年9月4日現在(日本時間)、アメリカ時間で8月29日の早朝に再上陸したハリケーンカトリーナ」による被害状況は刻々と広まって行き、その予想死者数は1万人を超すかもしれないと報道されており、ただただ、犠牲になられた方々のご冥福お祈りするばかりであります。そして今もなお精神的肉体的に、死の恐怖に陥っておられるであろう方々に、遠く日本の地より、“もうちょっとの辛抱です。あなたは必ず救われます。だってあなたはアメリカ人なのですから”と激励の言葉を送らせて頂きます。

インド洋の大津波に襲われた発展途上国に比べれば救いはあるということなのかもしれませんが、経済的損失の深刻さはともかく親しい人を失った悲しみの深さに差はないと思うのですが。江本氏は人の死の意味をわかっているのでしょうか。

「水は心の鏡」…そのような意味において、いま人類はその生き方を問われているような気がします。水という生命の源が一番好む愛感謝に満ちた思いで、現代人は生きているでしょうか? いうまでもなくそうではありません。逆に憎悪と恐怖、そして不安と貪欲に満ちた生き方をしている方の割合の方が多いのではないでしょうか?

であれば水もそうなります。人類全体として愛感謝的な生き方をしてゆかなければ、水はますます荒れ狂い、第三、第四の水による大災害が、今度はあなたの町をも襲ってくる事になるでしょう。

人類が水に感謝しないから水害がおこるのだそうです。ベタにそう言っています。あまりに論理のつながりが無茶苦茶で徹頭徹尾非科学的なのでネタだと思いたくもなるのですが、ネタだとしたらあまりに不謹慎。ベタに言っていると解釈すべきでしょう。

災害の原因を人間の道徳や倫理に求める論理は伝統的にはありがちなことではあります。でも、そういう枠組みで見ると「水=神」という話だとしか思えません。水を崇めよ、さもなくば水の裁きを受けるであろう、というわけ。要するに宗教です。ここまでくると水伝を単純な「感謝の気持ちを大事にしよう」という道徳の主張とは解釈できません。

そもそも江本氏は水以外に、特に人間に対してどのくらい感謝しているのでしょう? Dreamweaver を作ったマクロメディアの技術者に感謝してますか? Apache プロジェクトのメンバーに感謝してますか?

まあ、こんな細かい話をこねくりまわすまでもなくどう見ても宗教と思わせる文章が江本氏のサイトにはいっぱい載ってるわけですが。