超人の超人による超人のためのサービス

Web の世界で先端的で革新的なサービスというのは単に人々のニーズに応えるだけではなく、人々のライフスタイルや世界観の変更を迫るものだ。典型的なパターンとしては情報格差を平準化し、人々をよりクリエイティブな面での競争に追い立て、さらなる革新を迫るような、そういうサービスが素晴らしいサービスだとされる。

Google のサービスはまさにそういったサービスだ。情報格差既得権益の上であぐらをかいていた者は生き方自体の変更を迫られる。クリエイティブな人たちの中に Google のファンが多いのは、単に便利なツールを提供してくれるからだけではなく、Google の革命的・破壊的なサービスが、むしろ自分たちの可能性を引き出してくれる部分に感謝しているからであろう。

同じことははてななどの小さなベンチャーにも共通することではあるが、Google ほどの巨人なっても Microsoft のようには嫌われないという点は象徴的だ。Google は単に巨大なだけではなく、人類を次のステージへと導く超人というわけだ。

情報の流通を最大化し、コミュニケーションの接続を最大化することで起こる革命。それが Web の向こうに人類の未来を見る先端的な人たちの理想であり、Google のサービスはその象徴なのだ。理想を妨げるのは技術的な困難だけではない。情報やコミュニケーションに壁を作りその中に安住したがる人々の心理こそが最大の障壁だ。

だから彼らは言う。それならば人が変わるべきだ、来るべき理想の時代にふさわしい開かれた人間になるべきだ、と。これを仮に超人と呼ぼう。「ネットは戦場」という話もあるように、元々 Web のアーキテクチャは Web で情報発信する人に超人性を要求するようなものであった。Web には超人になりたい奴だけ来ればいい、俺たちの豊かな生活ぶりを見ればやがてみな自ら超人になり理想の時代が訪れるであろう、ということであれば、そこまではそれでいい。

しかし Google Street View (GSV)はそこからさらに一歩踏み出した。Web の側から非戦闘地域の日常空間を Web の戦場と地続きにしてしまったのだ。そういう動きが今までなかったわけではない。匿名掲示板での情報漏洩は、晒された側をいやおうなく Web の戦場に引きずり出すが、戦っているのはゲリラ的な個々の投稿者であり、匿名掲示板自体はタテマエ上は中立だった。しかし、GSV は Google 自らが写真を撮影しデータベースを構築しサービスを提供している。いわば正規軍なのだ。

Google は解放軍なのだろうか? GSV は人々を超人にできるのだろうか? 仮に人々が超人化する未来が肯定できるとしても、GSV のように強制的に一般個人にプライバシーリスクを負わせるやり方がうまくいくとは思えない。

順番が逆なのだ。差別や偏見とは無縁の人は先に利便性を受け取って徐々に GSV 的現実を受け入れ超人化していくことができるが、社会的に弱い人はそうはいかない。一番弱い者が真っ先に超人になることを迫られる。事実上の弱者切り捨てだ。それを淘汰は進化の必然、と言うなら僕は全力で抵抗したい。