「ネットを戦場にしてはいけない」というのは、以前 [id:otsune:20051118:p1] を読んだ時に思ったこと。僕はこの記事は「ネットは危険」というメッセージには読めなかった。むしろ文化の衝突としての「戦争」をネットのメタ文化として尊重しようという意味にとっていた。otsune さんの日頃の言動(モヒカン関連)につられた誤読なのかもしれないけど。
これまでの流れ
- 人間という動物が持つ「嫌悪感」という現象に、無理矢理な理屈を付けるのが「文化」だ (otsuneさん)
- 不安な足もと(rna)
- 「本能的にそう思う人がいるのは想像できるが、ネットは戦場なのでそう思わない方が安全 http://d.hatena.ne.jp/otsune/20051118/p1」 (otsune さん)
- 「ネットを戦場にしてはいけません。もうそういう時代じゃないかと。戦士の誇りを持たない一般市民が戦う戦場は醜いだけです。」 (rna)
- 「ネットは危険です」という事実を伏せてしまうのは、良い事ばかり言ってパソコンやケータイを売るメーカーや販売店の愚かな精神と同じだ (otsune さん)
- ネットにはサザンクロスシティという居心地の悪い街「しか」存在できないのか(J0hn D0e の日誌)
ネットはどんな「戦場」か
現状追認ということではなく、今を生きる知恵として「戦場だと思え」ということなら異議はない。出会いが増えた分だけ倫理観の欠けた人と衝突する確率はネットの外よりも高いのは事実だろう。
でもネットが殺伐とするのは、わかりやすい悪人の存在によるのではない。むしろ「倫理的な」人たち同士の宗教戦争、あるいは民族紛争みたいな流れが背景にあるのだと思う。
僕が「そういう時代ではない」と言ったのは nifty や fj で実名で罵り合っていたあの時代のこと。名のある武将達が「我こそは」と名乗りを上げ、自らのプライドを賭けてぶつかり合う、そういう戦場。それに比べると今のネットの「戦場」ぶりはゲリラ戦やテロリズムのそれに近いと思う。私服のゲリラが襲ってきたり、非戦闘員が襲われたり。
非武装地帯を作るべきなのか
[id:j0hn:20060330:1143673467] では mixi のようないわば「非武装地帯」を作ることを解決策として上げているけど、僕はどちらかというと逆に「闘技場」を作った方が良いと思う。
公共の場でなにげないコミュニケーションを観察できる事で感じられるリアリティというのを大事にしたいので、そういうコミュニケーションが閉じた場に追いやられるのは面白くない。むしろ争い事の方をリングの中に封じ込めるのがスジなんじゃないかと思う。
とはいえ、もめ事専門 SNS とかあり得ないし、空間的に囲い込むのは難しいと思うので、開戦の手続きを決めて合意がとれた者同士でのみバトルするようなアーキテクチャをブログに組み込めないものか。
たとえば、、、非公開トラックバックで決闘状を送り、相手が承認するとバトル開始。バトル用のエントリにはバトルフラグを立てておき、フラグの立ったエントリからはフラグの立ったエントリに対してしかトラックバックできない。フラグの立ったエントリにトラックバックするとバトル参加ということになり、トラックバック元のエントリにもバトルフラグが立つ。誰の挑戦でも受ける! という人は誰にも言われなくても自分で自分のエントリにバトルフラグを立てておけばよい。バトル用でないエントリに対していきなり論争をふっかけるのはルール違反。。。とか、そんな感じの仕組みがあるといいかも。
もっとも匿名掲示板での個人叩きを強く規制しておかないとこういう仕組みも有名無実になってしまうし、ルール違反に対する何らかのサンクションがないと「そんなのローカルルールだ」って嗤われて終わりかもしれないけど。*1