人工知能学会の表紙の件

物議を醸してるこれの件。

あんまり議論は追えてませんが、直観的に「これはアカンやつや。。。」とは思いました。しかし、何がアカンのか、という点について納得行かない人が多いというのも理解可能で、どう説明したものか、と。

そこで、なんであれが問題アリと解釈されうるのか、という話を、一応人工知能分野の端っこ*1を専攻してた立場から整理してみる。既出の論点も多いとは思うが自分の考えの整理のためにも。


まず、人工知能研究は工学の一分野という側面がある。人間の知能の仕組みを解明するという認知心理学の一手段という面もあるし、実際そちらの分野からの研究もあるのだけど、やはり工学的な応用を目指す研究が主流だと思う。

人工知能学会論文誌の論文タイトルをざっと見てもそんな感じ。で、そういう学問分野のイメージを担うような「ロボット」っていうのは、アニメやマンガで親しまれている「ロボット」のイメージとはだいぶ違ってくる。*2

人工知能研究がロボットへの応用を目指す場合、その対象となるロボットは、アシモフの「ロボット工学三原則」に従うようなものを想定しているはず。

  • 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
  • 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
  • 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

ロボット工学三原則 - Wikipedia

要するに、人間の役に立つことが第一で、自律的ではあっても主体的であってはならない。そんなロボット。

つまり、人工知能研究が目指すロボットは、主体性を持つ(自由意志を持ち自己決定する)存在、平たく言えば人間のような心を持つロボットではない。人工知能学会のFAQでも「AIは,人間の心をコンピュータに宿らせることが目的」ではないとしている。

[問] AIは,人間の心をコンピュータに宿らせることが目的でしょうか?
[答] それが目的であるという研究者もいますが,それは比喩的な意味です.人間の心には多くの特色があり,それらの全てを本気でまねようとするひとがいるとは思えません.
人工知能のFAQ

そういったロボット、人間に従属する存在としてのロボットが、「女性の形をして家事をしていて電源ケーブルで繋がれている」姿で描かれると、現実社会で女性が性的役割分業で家事を押し付けられ二級市民的に扱われてきたイメージとダブってしまうのは避けがたいと思う。

アニメやマンガに出てくる人間型ロボットはそうではない。心を持っていて、時には自らの意志で人を傷つけさえする。そういうロボットだと思って見れば「女性の形をして家事をしていて電源ケーブルで繋がれている」姿にも、様々な物語を読み込む「余白」がある。

単体のイラストだからなおさら想像力をかきたてられる。実際、あの表紙のイラストは単体のイラストとして見れば、そういった「余白」が楽しめる面白い作品だと思う。ロボットが本を読んでいる、というあたりもそういった「余白」の一つだろう。

しかし、人工知能学会が学会誌の表紙イラストにそれを採用するという行為は、学会のイメージをあのイラストでアピールしていると見なされるわけで、どうしても「学会の立場から見たロボットはこうです」といったメッセージ性を帯びてしまい、イラストそのものにあった「余白」は削られてしまう。

だから、あの表紙は、性的役割分業という形の性差別に疑問を持たない研究者たちに対しては、そういった差別的な女性イメージを再生産するように機能しうる。この差別の再生産というのが一番問題だと思う。

もちろん、そういった差別性に気付いている人が見て不愉快な思いをする、ということも問題ではあるけど、それは二次的な話だと思う。表紙イラスト批判に反発してる人たちは、そちらが批判の主題だと思っているかもしれないが…

そういうわけで、人工知能学会はイラストの選定にあたって、単に「良いイラスト」を選ぶのではなく、表紙に採用することによるメッセージ性がイラストの意味を変質させてしまうことも考慮して選ぶべきだったと思う。

イラストレーターの側にはほとんど罪はないと思うけれど、表現がメッセージとして使用される場合、こういった落とし穴もあるというのは、今後のために知っておいて欲しいとは思う。


それにしても、あんな表紙一枚がどれだけ「差別の再生産」とやらに効くのだ、と言われれば、それはよくわからないとしか言いようがないし、実際のところ微々たるものだろうね、とは思う。でも、同じようなことが世の中の至る所で起きているわけ。

だから、何は見逃して何は批判するという基準は難しいし、目についたところから批判の対象にしていかざるを得ない。でも、少なくとも、公的組織*3がそれをやれば、見逃すわけにはいかないでしょう。


なお、表紙批判にオタク差別的な暴言がいっぱいあるじゃないか! という批判は、それはそれで正当なものもあるかと思うけど、僕が最初に「人工知能学会の表紙は女性蔑視?」を見たときにコメント欄に溢れていたのは、むしろ酷いフェミバッシングでした。売り言葉に買い言葉、感情的な応酬など色々あるかと思うので、いちいち絡みたいとは思いません。

一応そのあたりの話は、ブクマの方とツイッターの方で少し(?)喋りましたが、改めてここに書くのはやめにしておきます。


*1:Artificial Neural Network の分野です。

*2:SFには疎いのでSFではどうかという話はしないです。すみません。

*3:税金使ってるって意味ではなくてアカデミズムなりジャーナリズムなり公共性を持った役割を期待される組織ということです。