高木さんのブログ論

ブログをブ日記と呼ぶ高木さん。

http://d.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/20040612#p1

ブログと ML, netnews(fj)との違いなど。自分の発言がどのように読まれるかという予期が議論の仕方に影響し、その予期はシステムのアーキテクチャによって変わる、という観点から分析しています。

ブログ上だと個人毎の発言の文脈が維持されるので、読者が文脈に配慮した読みをすることを書き手は予期できる、ゆえに些細な揚げ足取り合戦に付き合う動機が失われ、結果として揚げ足取り合戦は長続きしない、というのはありそう。

論点を整理しながらの長文の応酬が ML では不自然というのは僕の感覚とは違うけど、現実にはそう感じる人は多そうだし、それを予期するが故に主張を小出しにしていく(これは議論が明後日の方に流されるリスクもあるけど)人が多いんでしょうね。

ということで宮台真司のブログ論(参照: id:rna:20040531#p2, id:rna:20040602#p2, id:rna:20040602#p3)は結構妥当なのかも。

ブログでもコメント欄が文脈無視のコメントで激しく消費される場合だとそういう予期が崩れてしまうので大変なことになる、というのも納得。自分に言い聞かせる意味も含めて「★コメント欄はほぼ見ません」*1とか書いておくといいかも?