http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20041011113710 より:
引用元記事原文には「夢」という言葉は出てきません。これは筆者(つまり私)が、より適切に表現するために補った言葉です。
(中略)
この文章は、転職に関するテーマに特化したメルマガに掲載されていて、引用文にも「転職の決断」という言葉が出てくることから分かる通り、転職のために技術を得る、ということがコンテストとして存在します。
つまり、「夢溢れる対象」として書かれた「夢」とは、「私の夢はJava技術者として立派に転職することです!」というようなコンテキストで使われる「夢」であると言えます。ですから、「夢」=「食っていけるから」「求められているから」という解釈で何ら問題ありません。
えー。問題あるでしょうそれは。メルマガの記述はこうです:
9月の人気ランキングの1位は、「Javaを捨ててでもWindowsを究めたかった」。多くのエンジニアがJavaを究めたい、Javaを勉強したいという中で、Javaの開発よりも学生時代から手がけてきたWindows系の開発をメインにしたい、という転職の決断。皆さんはどう思いましたか?
ここで参照されている「Javaを捨ててでもWindowsを究めたかった」という記事は「立派に転職するために Windows を究めた」という話ではなく、むしろその逆、「Windows を究めたかったので難しい条件でも転職を決断した」という話です。
この場合の「究める」は記事の冒頭に「技術にほれ込んでいるエンジニアなら、誰もが「この技術を使った仕事をしたい!」と思うことだろう。」とあるように、「食っていけるから」「求められているから」ではない、特定の技術そのものに対する惚れ込み、つまり主体的で自己充足的な思い入れです。だから「やりたいことができれば、待遇面は二の次」という判断も出てくるわけです。
さて、こういう記事を参照しての「Java を究めたい」というのは同様に技術への惚れ込みであると解釈するのが適当ですし、それを受けて「究めるべき夢溢れる対象」と言えば普通は「惚れ込むような魅力的な技術」という意味になるかと思いますが。
で、僕は @IT メルマガ筆者の「多くのエンジニアがJavaを究めたいと思っている」という認識に懐疑的で、Windows を究めたかった小倉秀雄さん(仮名32歳)みたいな意味で「究めたい」人って言うほど多くないんじゃないかというのが [id:rna:20041008#p1] の主旨です。