ID って科学なの?

顎が外れるかと思った。なんだこりゃ。

 ――推進しているのはキリスト教右派とされています。旧約聖書に基づく創造論の「神」を「知的存在」に言い換えているだけでは?

 もしそんなものであるなら、これを支持する科学者は一人もいないでしょう。米国の記者もよく「何で早く神と言わないのだ」と質問しますが、ID理論家はあくまで科学的実証から出発するわけで、彼らは、自然的要因からは生じえない「デザイン」の事実が厳密に実証できるのだから、従ってデザインの主体、デザイナーの存在が推論できるのだと言っているのです。神から出発するのではないのです。キリスト教右派だとか宗教勢力の画策などというのは、そういうふうに見たがる人の言うことです。

デザイナー(生命を設計した知的存在)を仮定するなら、じゃあデザイナーは誰が作ったのよ? って疑問が即座にわいてくるんだけど、ID 理論はそれに答えられるんでしょうか。デザイナーを作ったスーパーデザイナーを仮定するの? で、それを無限に繰り返すの? 要するにデザイナーっていうのは存在の根拠を問えない存在なわけで、しかもそいつが知性と意志を持ってるって言うんでしょ? そういうのを絶対者とか神とか言うんじゃないの? そんなの仮定しちゃったら科学じゃないじゃん。

科学が未だ解明していない現象から神の存在を感じるのは自由だし、そういう考え方もあるんだよって事を教えるのは全然構わないけど、それを科学として教えるのは間違いでしょう。進化論が唯物論に短絡されるのが問題なら「科学とは何であって何でないか」を小学校から徹底的に教えることで解決するべきじゃないでしょうか。そのあたりについては進化論対ID(はちことぼぼるの日記)が参考になります。